こんばんは。
あきこです。
あ、今週末までじゃん!
と思い出し、行ってきました。
東京国立博物館。
空海さんも制作に関わっていたと言われる神護寺に伝わる国宝高尾曼荼羅、後期日程なので金剛界曼荼羅が展示されていましたが、圧巻でした。
想像以上に大きかった!
映像での解説もあります。
わたしのPCの壁紙になっている、東寺さん所蔵の空海さんが唐から持ち帰った
金銅密教法具 (金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵) |
が、実物をしかも四方から見られて幸せでした。
じっくり一周しちゃいました。
同じく東寺さん所蔵の空海さんから最澄さんへの手紙である、有名な「風信帖」もありました。
また、空海さんが唐から持って帰ってきたものの一覧や密教を学んだ経緯(恵果和尚との事なども)を書いてある
「御請来目録」 こちらは最澄さんが書き写したものが出展されていました。 最澄さん、どんな気持ちで書き写したんだろう。 と、端正な文字を見ながら考えちゃいました。 「御請来目録」を見て、自分が唐で学んだと思っていた密教は全然足りていない!と知って空海さんに教えをこい、灌頂を受け弟子となり、経典を借り写し、やがて空海さんに経典だけでは密教は学べないと貸出を断られます。 また自分の愛弟子を空海さんのところに学びに行かせて帰ってこなくなり、何度も戻るように言うも戻らず…そして空海さんの十大弟子の一人に… 空海さんと最澄さん本人達の直筆の書が残っていて、二人のエピソードは漫画日本の歴史を読んだ小学生の頃から知っていたけれど、実物を見て本当に二人は関わっていたんだなぁと改めて実感。 9世紀の書が残っているなんて。 それだけ二人はスーパースターだったんですよね。 空海さんは三筆だし。 本来なら20年唐にいなければ帰国出来なかった空海さん。この「御請来目録」を朝廷に出したから2年で戻ったけれど、入京が許されたそう。 入京の許しには、これの価値が理解できた最澄さんの口添えもあったそうな…(最澄さん…涙) 密教の正式な後継者となり日本に持ち帰ったことは、誰もなし得なかったまさに超人空海だからできたこと。 空海さんがやったこと、残したものを見聞きする度に、その才能に驚愕します。 唐から帰京した空海さんが活動拠点にしたのが高尾山寺、後の神護寺です。 その他、印象に残ったのは、空海さんも祈ったであろう、神護寺御本尊の国宝薬師如来像。 また、五大虚空蔵菩薩坐像も良かったですー ふっくらお美しい、かぶっておられる冠が素敵な五体の虚空蔵菩薩様… こちらもゆっくり一周して前からも後ろからも拝見いたしました✨ あと3日で終わりなので、首都圏の方ぜひ。 |