今日やっと「TAROの塔」第3回を見た。
「TAROの塔」 NHK 土曜ドラマ 第1回の感想 では、この衝撃的な傑作ドラマに出会えた感激を書いた。
そして、録画のに失敗した関係もあって一か月以上もの時間が経過してから見て書いたのが「TAROの塔」 NHK 土曜ドラマ 第2回の感想 。
このドラマの何が具体的に私の琴線に触れたのか、心に残ったセリフと共に書き留めた。
それから更に2週間が経過。
きちんとドラマを視聴する時間が取れるときに見たかったので今頃になってしまった。何かをしながらとか、仕事が終わってから疲れ果てた状態でとかで見るのは勿体ない作品だからだ。
ドラマという芸術作品としてのクオリティが異常に高い。でもそれについては私が下手にあれこれ書くことも無いので敢えて触れない。
第3回を見ていて、胸が潰れそうな気持ちになった。
あの作品のユニークなメッセージは、こういうことから形成されていったのか、と思うと実際の作品を見て腑に落ちていなかったことが、私なりの腑の落ち方をしたからなのかもしれない。
私は、芸術というものはその作品に対して向き合った時に自分が感じることが全てだと思っている。
(だから美術館で貸し出しがさかんなガイドホンなるものは、理解できない偏屈者だ)
そこで心が動かされ、好奇心が刺激されるとその作品や作者などの背景を調べたりすることもある。
そして知れば知るほど、より作品も多角的に、あるときは深く感じることができるようになる。
その反面、その知識が邪魔をしてしまうこともあるので最初の印象というものを大事にしまっておくように心がけている。それは二度と手に入れられないものだからだ。
記憶に残っている「岡本太郎と」との出会いは、大阪万博の太陽の塔だった。
子供だったので、「赤白の胴体いに金色の顔のある人形みたいな塔」という程度の印象しかないものの、今でもその造形物は私の記憶に刻み込まれている。
考えてみれば、美術が大好きな私はモネ、ゴッホ、マティス、藤田嗣治、イヴ・クラインなど特に好きな芸術家は何人もいるが、その作家のどの作品が初めての出会いだったのかを明確に思い出せる作家はいない。
その意味でも、「岡本太郎」は偉大だと改めて気付かされる。
その後、TVCMで「グラスに顔があったっていいじゃないか!」「芸術は爆発だ!」と言っていたのをぼんやり記憶している。
そして東京に暮らすようになり、青山の美術館で初めて意識的に芸術家岡本太郎の作品と向き合った。
第3回を見ていて、胸が潰れそうな気持ちになった。
あの作品のユニークなメッセージは、こういうことから形成されていったのか、と思うと実際の作品を見て腑に落ちていなかったことが、私なりの腑の落ち方をしたからなのかもしれない。
太郎(松尾スズキ)はあんなにも闘っていたのだ。あんなにも岡本かの子(寺島しのぶ)に・・・。
父一平(田辺誠一)の言葉も重かった。
(それにしても、田辺誠一さんの顔にあんなにもシミメイクしなくちゃいけなかったの?ちょっと笑えた。もしかするとカッコよすぎるからあそこまでやらないと、いい男オーラが消せなくて老人感がでなかったのかしら?)
相手の顔に手で絵の具を塗りたくる。繰り返されるモチーフ。なんだか究極の愛情表現に思えた。
芸術に支配されているかの子が幼い太郎に。大人になった太郎が自分のことを慕う敏子に。そして太郎への愛情を持てあましていた敏子が、「絵描きのオレを殺せ」と言った太郎に。
第3回で一番印象に残っているのが居酒屋での太郎と敏子(常盤貴子)の会話だ。
太郎に、伝統や権力は大した敵じゃないとおっしゃてましたが、一体何と闘っているのですか?と尋ねる敏子。
「そういうものに何も考えずに頭を下げている人々だ。この国のピープルだ。」
なんだか、映画「ハゲタカ」で鷲津(大森南朋)がビーチでやさぐれて既得権益層がのさぼっている状態を「へらへら見ているバカな国民」と言うのを思い出してしまった。
居酒屋で太郎を見かけて「応援している」と言う自称芸術評論家がテキトーに「応援している」と握手を求めてきたのに怒らせてしまう太郎。
「何も考えなくても応援はできるんだ。あんな応援は外に出れば忘れる。怒らせた方が忘れない」という意味のことを言う太郎。
「ああいうのが軍隊に入ると何も考えずに殴られ、ちょっとでも人の上に立つと何も考えずに殴る、そういう連中だ。」
こういうのって本当によくわかる。理不尽な状況をちゃんと理解せず何も考えず受入れ、でも意見ではなく愚痴は言う。そして他人も自分と同じ目にあえばいいと言う。今の日本でも同じようなものだ。鷲津も言ってたけど。(笑)
「その通り!」という他人の合いの手にもすかさず「応援するな!自分でやれ」と言い捨てる太郎。
居酒屋の帰り道、電車賃も使ってしまい線路を歩く太郎と敏子。
ダンスをして「パリでかの子と踊ったんだ」と嬉しそうにする太郎。敏子とのダンスを喜んでいるのではなくかの子との思い出に浸っている太郎。見ていて切なくなる。
そして太郎は言う。
「絵なんか描かなくったってオレなんだ。絵描きにならなくたって岡本太郎でいたいんだ。」
太郎とかの子が田舎暮らしをしている一平を訪ねた際にの一平とかの子の会話が印象的だったので備忘録として書き留めておく。
「太郎はかの子の聖火を受け継いだんだ。必死に。
その火と付き合っていくためには覚悟が必要だ。
どんなに寄り添っても向こうは孤独なままだからね。
それを解消するには一つしかない。
私は最終的に自分以上に作家の岡本かの子に賭けたんだ。
そして、私が賭けた岡本かの子に、かの子自身も賭けた。
そうやって一つのものに賭けるしかないんだよ。
生身の人間関係を捨てて、おなじ作家として、彼女のためなら死をも厭わない覚悟をしたんだ。」
「生身の男と女では愛し合えないんですか?」と尋ねる敏子。
「結局人の愛し方と言うのは、その人間の意志と言うより能力に依ってきまるんだ。
例えどんなに努力をしようと、その人間にしかできない愛し方をするより仕方ないんだ。」
なんだか色々と心をかき乱されるというか、琴線を鷲掴みにされるような刺激のあるドラマだなぁ。