タイトルロールで演出家の名前をチェックするようになったのは、龍馬伝が演出家によって自分のツボへのハマり具合が違うことに気づいてから。。。第11回は渡辺一貴さん。誤解のないように言っておくがこの方の演出も好きだと、何回か前に書いている。


しつこく言っているが、龍馬伝を見るようになったのも 大友啓史演出×佐藤直紀音楽×大森南朋出演 だからだ。

言うまでもなく、このゴールデントリオ(勝手に命名)は、ハゲタカのトリオだ。

だから、私の龍馬伝の感想がそういう色眼鏡で曇っているのは「言うまでもないことじゃの」 by武市半平太

ってことで、殆ど客観性のない感想なのであしからず。


第11回 「土佐沸騰」は確かに面白かった。

ストーリーはまさに、ヒーロー「龍馬伝」。痛快さもある。しかも、役者ぞろいで何から何まで濃密だ。

田中泯さんin吉田東洋も圧倒的な存在感で非常に面白い。

吉田東洋のモノの見方や考え方は非常に合理的で、ある意味偏見も差別もなく素敵だ。


香川弥太郎も相変わらず見せてくれる。

弥太郎の浮き沈みの激しさは凄いものがあり、いくらでもやり直しのきく時代をあのバイタりティで渡っていく姿はある意味清々しくすらある(笑)

それに、すっかり図太くなった龍馬(VS 吉田東洋)をものすごい嫉妬の眼差しで見つめるところなんて、あの芝居で龍馬を引き立てるのに十二分だ。


大森半平太は、もの言わずともその佇まいや表情で存分に見せてくれる。

(だから、あの怒鳴るように喋らせるのを何とかしてもらえないか・・・。)


映像もとてもきれいだし、福山龍馬もきれいで精悍。

三味線を弾く龍馬の後ろのかご入り猫もかわいいし(笑)←って、龍馬に注目せんかい!

特に、吉田東洋から「上士に取りたっちゃる」と言われた後、月夜?に庭先で佇む龍馬の後姿のカットなんて、手前の部屋の黄色っぽい壁と、龍馬のいる庭先のブルーの対比が美しい絵画を見るようだった。

井伊直弼の最後の表情も、まるで写楽の作品だ(笑)


でも、自分の偏見のせいなのかどうもすっきりしないのだ。


そもそも、自分が「龍馬伝」に何を求めているのか?という、通常のドラマ鑑賞では考えるまでもないことを考えてしまった。

もちろん、幕末ヒーローの龍馬をステキに描くためには、周りが引き立て役になるのはある程度仕方ない。


でも、なんだろ?このすっきりしない感じ。

今回は、大河ドラマを見ているのに、フジの月9を見ているようなデジャヴ(既視感)があった。

いままで、へなちょこ=悩める素直な若者龍馬だったのがここに来て、俄然ヒーロー然としてきた。

そのヒーローを祭り上げるために周りを貶めている(大げさだ・・・)ようないや~な感じがしたのである。


ドラマとしては、目くるめく展開だし、吉田東洋を見ているだけでも、香川弥太郎を見ているだけでも十分過ぎるくらい面白い。セットだってきちんとしているし、人物の作りこみ(外見部分)もとてもよく出来ている。


だけど、せっかく武市半平太という素晴らしい人物を、大森南朋というすばらしい役者に演じさせているにもかかわらず、その使い方が、ヒーローを祭り上げるための安直な道具のようになっているように感じてしまうのだ。

武市半平太の高潔でだれをも引寄せる魅力については、史料にも明らかであるし、初回あたりの大友啓史さんの演出の際には知識のない私でもそれを感じることが出来るドラマになっていた。


それが途中からへんな切れキャラになってみたり、それがまた初回の半平太に戻ったかと思えば、「悩みを見せる」事だけにフォーカスしたかのような描き方になってしまい、今回なんて半平太のダメダメを全て龍馬がリカバーするという展開。

龍馬がしゃしゃり出てこなくても、半平太が怒り狂う下士達をその静かな力で説き伏せるのでなくてはダメなんじゃない???


「維新土佐勤皇史」(最後に要約抜粋)に記されているような半平太はまさしく私のイメージする半平太そのもの。

その半平太すら、成し遂げられないことをやってのけた龍馬、というのでなければ意味がないのでは???ドラマなんだから、実際以上にそう描いてもいいくらいだと思うんだけど。

などと、悶々としてしまったのだ。


私は、ドラマはドラマの中の情報だけで純粋に楽しみたいと思っており、事前に色々な情報を仕入れたり自分で事実関係を調べたりするようなことは、基本的にしない。

でも、あまりにも半平太の描かれ方がぶれているので思わず調べて、やっぱり腑に落ちないのだ(笑)


もしかすると、今回不憫だと思う場面がなかったから?(笑)


でも、その煩悩さえ捨て去れば、龍馬伝は本当に面白いドラマだ。

自分で自分を不自由にしているだけなんだな・・・。


http://www.geocities.jp/ryoma21jp/newpage55.htm より武市半平太について


「維新土佐勤皇史」には、次のような記述がある。

 現代語訳すると、「身長は2m近い。すらりとした長身。顔は青白いといっていいほど白く、鼻が高く、顎の張った骨っぽい表情。その表情は、滅多なことでは動かず、目に尋常ならぬ鋭い輝きがある。ひとたび口を開けば、音吐高朗、人の肺腑に徹する。人格、また高潔、一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった。

 いわゆる押し出しが立派で、美男で、言説もさわやかで、人柄も優れている、ときているから、接する者はほとんど皆、彼に敬服した。


 彼を領袖と仰ぐ土佐勤皇党の同志たちは無論のこと、長州の久坂玄瑞その他他藩の者たちも、面識を得るやたちまち半平太に傾倒した。

 倣岸をもって聞こえた土佐藩主山内容堂ですら、彼に対しては、威儀を正したというのである。」


 薩摩の樺山三円は、その日記の中で、

 「此内より久坂より、武市の事象及び候ところ、初めて面会、健なる人物と相見え、武術師範の由」と記しており、田中新兵衛も、「至誠忠純、洛西にその比を求むるならば、わが大島三右衛門(西郷隆盛)か」と述べており、その人物のほどがしのばれる。


 武市半平太は、剣の腕もいい。25歳の頃から、高知城下で一刀流の道場を開き、江戸では鏡心明智流の桃井道場の塾頭をつとめた。教養もある。叔父が、「万葉集古義」の著者として著名な国学者、歌人の鹿持雅澄で、その薫陶を受けている。

 風雅のわきまえもある。詩歌をたしなみ、美人画にも巧みだった。

 指導者の資格は十分備わっていた。

 品行も方正という以上に、自己に厳しく、また周囲の者にもそれを求め、潔癖、律儀、悪く言えば、融通の利かない頑固な気質が彼の心棒になっていた。