NHKドラマスペシャル 白洲次郎の最終回を見た。
白洲次郎の言動については諸説あるが以下はあくまでも、ドラマを見ての勝手な所感。
第1話で白洲次郎(伊勢谷友介)は、ケンブリッジ留学時代に英語でいきなり質問しからかってきた英国人相手に日本語で応戦し最後に英語で見事に相手をやりこめるシーンがあった。
(結果的にその英国伯爵とは親友となるのだが)
胸がすっとしたシーンだ。
私は日本なのに、平気で英語で偉そうに色々と要求してくる外国人が信じられない。
が、もっと驚くのがそうされると反射的に英語で答えなくてはならないと思い何とか頑張ろうとし、それができないと卑屈になってしまう健気な日本人だ。
そんな彼らからアドヴァイスを求められることが多いが、「日本なんだから、日本語で普通に対応すればいい。相手にお願いされたら自身の持てる英語力の範囲で答えてあげればいい。」と答える。
「でも、英語に自信がないし・・・」というその人たちの気持ちもよくわかる。
しかし、母国で母国語以外の言葉を完璧に話す必要などないし、文法や発音がいくら完璧でも相手に応えようとする気持ちが無ければコミュニケーションは難しい。逆に、相手をわかろう、自分の気持ちを伝えようとする気持ちがきちんとあれば語学力などあまり問題ではない。
私のやり方は見方によってはかなり意地悪かもしれない。
しかしビジネスでの共通言語に英語が指定されていたり、自分がサービス業に従事したりしてそれで何かを得ている場合を除けば、卑屈になる必要がどこにあるのだろう?
また、今、録画を見た最終回でも、次郎がサンフランシスコ講和会議全権団顧問として出席した際、講和条約の受諾演説の草稿をGHQの了解を得た上で英文で書いてきた外務省の役人を叱り飛ばし、全文を日本語による毛筆で書き直させたシーンもあった。
仕事柄、相手先から英文契約書を押しつけられることも時々あるが、こちらからお願いしなくてはならない立場でもない限りこちらの雛型での交渉を必ず行う。もめることを嫌う方々にはさっさと先方案を検討しろと言われるが結果的にそうなるとしても、こちらの案を提示したうえで妥協案として先方案を検討する段階に入らないとこちらの修正案もなかなか受け入れられない。
グローバル企業はみな、本社決裁は時間も手間もかかることを言い訳に当然のように無修正締結を要求するが、内容が明らかにこちらに不利なものを受けれるようなお人よし企業とばかり付き合ってきたのだろうか?と思うことがよくある。
交渉の結果合理的な修正は受け入れられる。逆に不合理な内容をチェックもせずに受け入れるような企業とはフェアなビジネスをしなくてもよいと思われる。
そのことをニッポンのおじさんに理解してもらうのはなかなか厳しいのが現実だ。
常日頃そんなことを考えているので時代もレベルも全く違うが、これらのシーンはなんだか嬉しかった。
ドラマのストーリーではなく、純粋に場面としてきれいだと思ったのが吉田首相の読みあげるサンフランシスコ講和会議での受諾演説を聞きながらウイスキーのロックを呑んでいたときの、ロックグラスを持つ彼の指。とてもセクシイだった。指がきれいと言えば鷲津だが、鷲津とはちがって感情を隠すことのない白洲次郎の豊かな表情もまたとても素敵だった。
大友啓史さんの描く世界にはまりつつあることは明らかだ。
この調子だと、龍馬伝では、はんぺーたさん(大森南朋)よりも龍馬に惹かれそう。。。