郵便局で用事を済ませてぶらぶらと帰路を歩いていましたら、宗教勧誘のおばあさまに声をかけられました。

 

あなた、どこそこのなんちゃら寺ってご存じ?

 

いや、知らないです、おばあさん、そちらに行きたいのですか?

 

いえね、そこの云々かんぬんっていうお経を読むと、とってもいいのよ。私も健康になって、知り合いもみんなうまくいってるのね。

 

そうですか。云々かんぬんっていうことは、アレコレ宗ですか。

 

ううん、アレコレじゃなくて、ドコソコ宗なの。アレコレはダメよ。一家離散しちゃうから。

 

そうですか。待ち合わせがあるんでこれで失礼しますね。また調べておきますよ。

 

あ、じゃあ、私電話番号とか持ってるから、差し上げましょう。

 

いえいえ、結構です。失礼します。

 

 

上記のやりとりをして家に帰り、顛末を母親に告げると、やっぱり悩んでる人間はわかるんだねえと大笑いされた。

 

昨日のブログの最後に宗教が必要なのかもしれないとつぶやいたけれども、このおばあさんのように救われた気持ちで幸せに生きられるのであれば、まったくその通りだと思う。

 

母親がひとしきり大笑いした後めずらしく神妙な面持ちで、なんで宗教にハマる人はハマっちゃうんだろうね、なんて言っていた。

 

宗教は人が幸せに生きるため、先の見えない人生で指針を与えてくれるように人類が発明したものだから、ハマってもおかしくないよとしかそのときは返せなかった。

 

私の持っている認識としては、人間がこの世界のあらゆる事象、現象を説明するために神話的な説明が用いられて、その後、そこから人間の生活面に発展させて人間がどう生きてゆくか、日常でどのように振る舞うべきかを定めたのが宗教ではないかと考えている。

 

もしかしたら逆もあり得るかもしれないが。

 

こういう風に人はものを考えるべきだ、振る舞うべきだとする理想が先にあって、それを正当化するために神がそれを定めただの聖人がこう伝えただのと後付けをしていった可能性もある。

 

あるいはそれらを相互的に繰りかえしていったとも考えられる。

 

あと、宗教には人の集団を団結させる効果がある。

 

同じ前提条件を与えて、同じ方向に向わせる効果がある。

 

私の悩みの一つには、周囲の人間とどうも前提条件が合わないと感じる点がある。

 

 

 

 

どうもイライラした気分がおさまらないので、途中だけどここでいったん打ち止めにしましょう。