気づいたら3時間近くも。人生で初めてのことです。
数年前「一緒に酒を飲みたい」と言われたのですが、
“親子はこうあるべき”というような情報に
完全に踊らされている両親の期待が
幼い頃からずっと窮屈で気持ち悪くて強烈な不快感で生きていたので、
その時は返答を濁してごまかしていました。
そもそも持病で飲酒と運転はドクターストップがかかってもいるし。
けれどきっと、父とお酒を飲みたくない、
飲み会というもの自体も、
息苦しくて落ち着かなくて疲れるだけで、
一度も心から楽しめたことがないから、
そんな状態を自ら作り出したという側面もあると
今ならはっきり認識できます。
お酒の飲めない身体の方が
自分にとって都合がいいから。
けれどここ1、2年、
自分に向き合い、物事の捉え方を整えてきたことで、
過干渉だった親と適切な距離感が生まれ、
両親も「最近やっと生きやすくなってきた」と言うようになりました。
『自分が変わると身近な人も変わる』
ように、本当にできているんですね
お酒は相変わらず強くないけど、
健康になったらきっとおいしく嗜めるくらいにはなるのでは
ないかなと思います
さらに、
不安や恐れを感じて二人きりでいると落ち着かなかった父親と、
「人生で一度はゆっくり話したいな」と思うようにもなれていました。
ほんの少し前までの自分にはまったく想像のできなかったことです。
そしてその時は、思っていたより早く訪れました。
ひな祭りの日、久しぶりに両親が訪ねてきました。
「自分は嫌われているから」といつも挨拶と生存確認だけして車に戻って、
母が私と気の済むまで会話を楽しむのを何時間でも待っている父。
でもその日は妹もいたので、母のことは妹に任せて、
“父と話すのは今日だ”と感じ、
手作りしている玄米甘酒を持って、車にいる父親の元へ。
お酒を飲みには行かないけれど
甘酒でも飲みながら話そうか
というスタンスで。
「昔ばあちゃんに作ってもらったのと似てる味がする、おいしいな」
と、口に合ったようでした。
最近やたら動物の死に立ち合うらしく、
先日、ほとんど泣いたことのない父が
取り乱して泣いていたと母に聞いたのもあって
話さなければいけないスイッチが入りました。
聞くと、日課の猫の散歩途中、
立派な角をもった大きな野生の鹿と道で遭遇したとのこと。
じっとしているものの、いつまでもこちらを見ていて、
愛猫と自身の身の危険を感じ、とっさに数発殴って逃げてきたそう。
翌日の散歩の時、
昨日見た場所から少し離れたところでその鹿が死んでいて、
「自分が殴ったせいだ!」と、自責の念にかられ
取り乱して泣いてしまったということでした。
家族には厳しく、
でも笑わせよう、楽しませようと無理しているようなところもあって、
家庭では不安定さを感じる人だったけれど、
幼少から様々な動物を飼育してきて、
野生の熊が人里に現れたニュースをみれば
いつも熊や動物の生存環境の方をより心配をしている父。
高齢者や子供、困った人は放っておけないお人好しでもあります。
地元で子供達に求められて空手の先生もしていた
父のこと、『限度』もよく知っている。
弱い立場にある存在に程頼られ、好かれ、求められる父だから、
きっと動物も父に看取ってもらいたくて現れるんだ、そう感じました。
震災後うちにやってきた黒猫ちゃんは、
父が好きすぎてどこまでもついてゆき
父の腕の中でとろけています
すぐに地元の猟友会に連絡してかけつけてもらい、
父よりもずっと真正面から野生動物たちと向き合っている猟師さんたちが
「こんなに立派な鹿が、
人間が数発殴る蹴るしたところで死なんから。
寿命か病気だ。」
と言ってくれて救われたそうです。
頼もしい猟友会の皆さんに、
父の心を救ってくれた感謝の念が沸きました
猟師さんたちも「こんなに立派な鹿は久しぶりに見た」
という程だから、余程の鹿だったのでしょうね。
身の危険を感じるのも自然な反応だと思います。
そもそも元気な野生の鹿なら、おとなしく殴られたりせず
角で向かってきたりするはず。
そんな考えにも至れない程恐れで気が動転していたようです。
父はどうも「自分のせい」とすぐ捉えてしまいがちで、
いつまでも引きずるタイプ。
そしていつも強そうに振る舞うけれど、
それだけとてつもなく繊細な人だったのだと、
ようやく気づくことができました。
その性質は私にもストレートに引き継がれているのですが、
思えば父は、「死」というものにあまりに過敏なところもあるので、
その二つが合わさった今回のような出来事は、
父にとっては苦痛や恐れの極みだったはずです。
私が病気で意識不明になり入院したときも、
自分のせいだとすごく自身を責めていたと、後々母から聞きました。
その償いの気持ちもあったのか、とてつもなく過保護になってしまい、
それがしんどくて父を長年避けてしまっていた部分もあります。
東日本大震災、職場で被災した父は、
真冬の寒空の下、
みんなで屋上で身を寄せあってどうにか生き延び、
津波が引いた3日後、
跡形もなくなった地域やたくさんのご遺体をみながら、
職場から徒歩で3時間かけて帰宅するという経験もしています。
震災後も母親(=私にとって祖母)や、友人の死にも見舞われましたが、
“そういうものだ”と人の死は受け入れられるようになってきたそう。
でも、どうも近頃、
自分に関わった動物の死がたまらなく辛く耐え難いらしいのです。
年齢のせいももちろんあると思うけれど、
細かく細かく、命というものに向き合い、
『死という自然の摂理』
を客観視できるようになることも、
父の人生で求められていることなのかもしれません。
私は、スピリチュアルな視点を
信じる信じないという観点そのものがズレていると思っています。
そもそも人間自体がスピリチュアルな存在なのに。
科学で説明できないことは、その視点も用いれば全て府に落とせるのに。
専門用語が独り歩きするせいで
あやしいものになっているのが残念で仕方ないな、と。
もっと日常と共にあるものなのになぁと。
我が家のご先祖様には、放浪僧がいます。
そして父も僧侶の過去世があります。
神や仏の教えだけでは救われないと、
罪のない非力な存在の死というものに
やるせない絶望を感じた僧侶だったようです。
でも過去世がなんだったかなんて
『感じるイメージ』だから証拠なんてないし、
そもそもそこはさして重要ではありません。
そこから持ち越している
思い込みや制限を、
今生の
自分の自然体な“生”に
向き合って生きることで乗り越える
ということがスピリチュアルというものの本分。
若い頃の父は「なぜ自分ばかりこんな辛い経験をするのか」
と死を考えたこともあったそうです。
父方は霊感と呼ばれるものの類いを感じている家系ですが、
それでもあの頃の父なら
私の感じるものはきっと
幻想だ、気のせいだと言ったはず。
現によく「余計な話ばかりするな」と言われていたから。
でも今の父なら大丈夫だと確信があったから、
私の感じているものと複数の占いからみえる
父の人生テーマを伝えさせてもらうと、
何の偏見もなく聞き入れてくれました。
例えば、
ホロスコープの土星は今生の人生の課題を示しますが、
それに向き合わなければ容赦のない洗礼を浴び続けるし、
向き合った人には絶対的な味方になってくれるものです。
そこからみた父の人生のテーマの一つに、
『精神性の向上』というのが浮かび上がっていました。
頑固で深刻な性質から今生はじまっているので、
些細なことでいいから既存の枠から出た選択や
チャレンジをすることで、
そのテーマに向き合えているといえる状態になるよ、
という内容を伝えました。
また、父は水瓶座ですが、
水瓶座はニュートラルな発想などを示す星です。
やはり今生、チャレンジすることを楽しみ、
柔軟性を身につけることが一つの大きなテーマのよう。
その他にも、取り組みにきたであろうテーマを伝えていくと、
一つ一つ父から大ボリュームの返答があり、
まるで答え合わせをしているようなやりとりで
あまりにスムーズすぎて不思議な感覚でした。
父と話したいなと思えたのは、
しっかり辛さに向き合ってきた父が
「柔軟になる」ことに取り組み会得してきたことを
なんとなく感じたからだったのだと
すごく府に落ちました。
物心ついたときから、
想定外の言動をすると不機嫌になる両親を
「何もわかってない!」と見下しているところがありました。
何を言っても無駄だという勝手な諦めが。
けれどそれは、
私自身があまりに未熟で、
何もわかっていない頑固者だったという
映し鏡でしかなかったのです。
私の人生の大きな課題のひとつが
『伝える』こと、
『コミュニケーション』
にあるから
それができていなければ当然、
意志疎通の部分になんらかの問題がでるということ。
さらに『健康』『身体感覚』もテーマだったので、
社会生活や日常生活もままならなくなってしまいました。
それがテーマだからそれが起きているという
ある意味“それだけのこと”なのに、
感情とか、人の目とか、プライドとか、
そういうことで捉えてしまうから
そういうことで捉えてしまうから
焦り、絶望し、自分を責めたりして、
それが「生きづらさ」になる
のだと気づくことができました。
そこがわからないうちは
抑圧と制限と義務に生きているような人生に辟易していました。
死にたいと思ったことはないけれど、
無味乾燥気味に
いつ終ってもいいという感じで
しっかり意思を持てず、
“ただなんとなく存在している”だけのところがありました。
そして自分自身にかけてきた負担が限界に達し、
ついには身動きがとれなくなって、
今までの生き方からの方向転換を余儀なくされて。
本来の自分の生き方ができていないときに感じる
何かしっくりいかない、むなしさやもどかしさ、
苦しさに翻弄されている感覚は
モヤモヤジクジクと蝕まれていくような
日々パワーを削られるしんどさがあるのですが、
本当の自分の人生に向き合うことに伴う辛さは、それとは別の
もっと深いところからくるような強烈なしんどさがあって、
日常生活さえろくに営めない日々に
“これは生きているといえるのかな?”と
いう感覚でここ数年は生きていました。
そんな凄まじいことを、
仕事をしながら、
子育てしながら、
他の何かに向き合いながらやっている人達は
どうしてそんなことができるんだろうと
私にはとてもできないから、本当にすごいなと心底思います
だから、みんなもう充分すごいのだから、
自分のことも他人のことも認めて、
お互い必死に生きていることを想像して
エールを送るつもりで補いあって、
あとはただシンプルに
自分を高めるように生きるだけで、
どんなに世界はニュートラルで上質になるだろう
と思うのです。
なのになぜそんなに足を引っ張り合うように生きてしまうのか。
やはり“生”そのものより
物質的なことにあまりにとらわれた価値観に
しがみついているからだと思います。
辛い辛いと嘆いて“なんとなく過ぎているような人生”
を続けるのか。
それともしっかり自分に向き合うのか。
世の中の常識や価値基準に流されて生きる辛さよりも
自分らしさに向き合う辛さのほうがしんどい面もあるけれど、
“もう今までの生き方はしたくない”
“人生このまま終わりたくない”
という思いをしっかり優先して生きると
不思議とどんなに苦しくても
向き合っていけるようにできているみたいです
それが成功体験となり、力の抜きどころがわかり、
大きな安心感と共に生きられるようになっていくから、
身軽に、心も軽やかに生きられるようになってきます。
自分の人生に向き合うことは、
雑音にまみれていてはできません。
文化的な価値観も相まって、勘違いしているの人が多いのが
一人になること=孤独感
という思い込み。
脳に[イコールの先]を変えて教えてあげるためには、
イメージも合わせて伝えることが私にはとても効果的な方法でした。
群れていなくても
くっついていなくても
思ってくれる、サポートしてくれる存在がいてくれることを
感じ、信じられると、安心感がふえていくので、
自分が人生で成すべきこと
=せずにいられないこと
=やりたいこと
にパワーをもっと使うように生きられるようになります。
そして
一人になること
=自分の人生を生きる上で必要不可欠な時間
ということも府に落ちて、孤高であることを選べるようになれます。
その在り方が本当の意味の『自立』です。
辛いと感じることは、
『自分の人生で成すべき
やりたいこと』をできるように
必要な力をつけるためにあるだけ。
それがそのまま、人間性や精神性を高めるように
うまく組み立てられているのが
人生なのだという気づきを
自分に向き合う中で得ました。
支配されるのでなく、
向き合い続ければ、
“辛さ”は
“自分らしく生きる力”
に変換されていく。
父も
「このまま終わるつもりはない」
「死ぬまでもう少し成長する」と言っていました。
私も父に負けないくらい一生涯かけて
学び、成長していこうと改めて思いました。
家族や親しい人との関係に何か虚しさや
隔たりやすれ違いを感じる方。
自分らしさというものを見失ってしまった方。
どうせ辛い人生なら、辛さが小さくなってゆき、
ギフトがある方の辛さを選びませんか?
辛いけれど、ちゃんと自分の心の声をキャッチして
それを体現するように生きることができていけば、
辛さと安心感の比重が逆転してゆき、
人生もスムーズになってきます
何もできない私が、唯一与えられている力が、
人生のテーマや、混乱、その人らしさを
紐解き向き合っていくことにアシストする能力。
私と似たようなお悩みを長年抱えている方、
“違う方の苦しみ”を勇気をもって選び、
少しでも心地よく生きる人生を創造してゆく方の生き方を
是非検討してください
きっととてつもなく辛いけど大丈夫です!
自分の乗り越えられる辛さしか起きないようになっているから。
助けてあげることも慰めることもできませんが、
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