毎度毎度
長く、くどい当ブログを
読んで下さる方がいること、本当に感謝致しますキラキラ


このブログ、親の話ばかり出てくるので
飽き飽きされている方もいるかもしれません。


ホロスコープ(星占いの星図)にも出ているのですが、
私の人生にとって、親、家族、地元、ルーツは

無視しようとしても、目を開けていても閉じていても
訴えかけてくる、しんどいものなのです。


けれどその分、そこから得られる気づきが
凄まじい。


だからお話させて下さい。


そして、同じようなことに悩む方や、
生きづらい方に、少しでもよりよく生きる

きっかけのきっかけくらいにはなれたりしたら
嬉しいなぁと思っています。




先日、数年ぶりに実家に帰省しました。


意識や感情が親に乗っ取られる感じになり、
不安と息苦しさで生きている感覚がわからなくなるので

実家とはしばらく距離を置いていたのですが、
帰省する流れになったので抗いませんでした家


でもやはり「不自然な仲良し親子」の感じが
とてつもなく居心地が悪く、平静さを保つのがやっとでした。


そこで、長年自分の本心を抑えて苦しんできたこと、
自分にとっては「普通」である
スピリチュアル的な視点を持って生きていることを伝えました流れ星


父は同じような生きづらさを抱えて生きてきた人なので
しっかり聞いてくれ、
「またなんかあれば伝えて」と言ってくれました。

一方で母は「意味わかんない」とフリーズして、
話している内容を想像すらしようとしてくれませんでした。


ある程度話が落ち着いたところですかさず、
「もういい?ご苦労様でしたー(棒読み)
じゃあご飯にしようー!」ですからねしょんぼり


いつも「私は頭が悪いから」というけれど、
頭が悪いんじゃなくて、
想像することにブロックがかかっているだけなのだと思うのです。


人にはあれだけ「優しさ」を求めてくるのに
自分のその反応はいいの?とちょっと悲しかったけれど 

「そうだ、母とはこういう感じで、
昔から話が噛み合わないんだ」と客観視して落ち着くことができました。


こちらの言っていることを想像しようともしないのに
「仲良し」を求めてくる。
母に合わせなければそれは成り立ちません。

「生きるために」ずっとそうしてきました。
自分で自分にとって生きづらい選択をしてきたのです。


親の顔色を伺って、親の感情のお世話をして
ご機嫌とりをして、
自分の本心やしっくりを無視して。


だから、違和感がずっとあったのだとはっきりわかりました。






ホロスコープにも出ているのですが、
ほんの少し前までの私は、
過剰に「平和」を求める性質でした。


少しでも攻撃的なものは
「いけないもの」「おそろしいもの」
とずっと感じていました。
だから母のことをとやかく言えません。


アドラー心理学に「繊細な性格などない」
という考えがあるのですが、それをみてハッとしました。


その考えに偏りすぎると繊細な状態を
「甘えだ」とか「言い訳だ」という

個人の成長過程を尊重できない無慈悲な在り方に
つながるので、絶対的な正解とは思いませんが、

私のように、
生まれたときの性質
「平和主義で自己犠牲的生き方」でも、

人生で目指すところ
「理性とバランスの取れた性質」
ならば、

”繊細な自分“を正当化していては生きづらいだけに
なってしまうのです。


もし人間が存在していなくても、
地球上に「攻撃」は存在しています。

食物連鎖でわかるように
生きるために、獲物を得ることしし座

天災によって場合によっては
生命が「死」に追いやられること台風


生きるために必要なしくみとはいえ、
食べられる側にとっては
食べる側に攻撃性を感じるでしょう。

だから生存本能で逃げるのですよね。


でも、そちらでは逃げる側であっても、
生きるために食べる側にもなるわけです。


そう考えると、
攻撃性は、
生きる力、生命力、パワー
とも言えるわけです。


私はそれを否定していたから、
ずっと身体が弱く、寝たきりになったりもしたのだと
しっくりきたのでした。


きっと「攻撃性」がなければ、
かえって人は無気力になり、
無味乾燥な短い人生を送ることになります。


けれど、何事もそうですが
節度が大切

「使い方」「使いどころ」
を間違えてはいけないということ!


他の動物と違って人間の人生は複雑だから。

だからこそ、シンプルな土台を手放しては
いけないと思うのです。


地球を借りて、魂の成長をさせてもらっている分、
その知性や技術を使って地球により調和をもたらすことが
「恩返し」になるし、

先人の知恵や、築いてきてくれたしくみなどを含め
目に見えない力に守られているから、
野生の食物連鎖の中におかれず平和に暮らしていられるのに、

そこに意識が向かず、
物質的価値観に囚われて、自分の「生」を嘆いているから、
攻撃性が自分勝手な使われ方をしてしまうのだと感じるのです。


愛、尊重、感謝を土台とした
「攻撃」かどうか、ということ。


例えば、スポーツテニス
好きなことができる環境に生きていること。
相手がいてくれるからこそ、競技が成り立つこと。


その上で「競争」すれば、
正々堂々勝負して、結果は結果でしかないと、
喜びや悔しさを味わって

もっと練習しようと思えたり、
やっぱりこの競技が好きだという
シンプルな解釈ができるのに。


「認められたい」
「一番になりたい」

という思いに囚われると
そうでなければ意味がないと
自他を追い詰めて、

いじめや、体罰、ドーピング…
そういうことが起きてきてしまう。



それから、「戦争」。
どっちの宗教が正しいだとか、
どっちの民族が正しいだとか、
こっちの領土だとか、
金をよこせだとか。

言うことを聞かないなら
力業で相手の力を奪い、支配しようとする。


「今あるもの」で満足して、
それに感謝できれば、

譲り合い、サポートし合う
ということが普通にできるだろうから、

きっとお互いを尊重して、
対話で着地点を見いだすことができるのに。


「勝ちたい」
「足りない」
「もっとほしい」
「こちらが上だ」

そんな未熟なプライドや
欲望に支配された意識で奪いあうから

本来なら不要な犠牲
を数多く生んでいるのだと
苛立ちともどかしさを感じます。


何もできていない私が
偉そうに言えることではないとわかってはいます。

でも、「感じること」から全てはじまるから、
できることからやっていくこと、

理解されなくても
なかなか思うよういかなくても

そうした問題に尽力できる自分に
少しずつでもなっていこうと

できない言い訳を探して
逃げないためにもこうして書きました。


母との関係なんてとるに足らないこと。
育ててもらったのだから、そこに感謝すればいいだけですねハート


それなのについ「わかってほしい」などと期待してしまうから、
悩みや、苦しみだと認識してしまうのです。


母も身体の強くない人でしたが、
出産するごとに強くなっていったそう。


それでも、
死に物狂いで仕事と子育てを両立させていたことを

痛いほどわかっているし、
本当に尊敬するからこそ

「傷つけてはいけない」
何も言えず、言いなりになっていました。


でもそれは間違いでした。


感謝していたら、
尊敬していたら、

少しも傷つけてはいけないのでしょうか?
相手が間違っていても?


母の生き方が間違っているということではありません。
ただ、子どもといえど、別の人間です。
それは一人一人に「普通」があるということ。


それなのに、親だからという理由で
自分基準の「正しさ」をおしつけて安心しているのは
エゴでしかないし、人権侵害と何も変わらないと思うのです。


大きな争いは、
そういう小さな争い意識の集合体です。


だから、
自分の目の前のことに、
愛と感謝と尊重をもって、
理性的に向き合うことが、

大げさでもなんでもなく
世界平和に繋がると
本気で思っています地球ハート



お悩み相談させて頂いていてとても勉強になるのは、
どんなふうに寄り添うか、ということ。


初めのうちは節度があるのに、
安心するとせきをきったように
日頃の鬱憤が爆発し、

不快感を誰かや何かのせいだけにして
その対象を徹底的に責めるようなことを言い出し、

何を言っても「自分の言い分はあたかも正論である」
かのような言い訳をする方が時々いらっしゃいます。


心を開いて全て打ち明けて下さるのは嬉しいことなのですが、
誰かや何かばかりに非があるような捉え方をしているから
苦しいのだと気づいて頂きたい。


ですので、あまりにしつこく言い訳をされたりする場合は
脳に「そのままではだめ!」と伝えるために
あえて厳しくはっきり伝えます。


「最初は優しかったのに」と、
それを「攻撃」だと捉えられることも少なくありません。


確かに、わかってもらえないという思いは、
感情や本能を基準に認識すれば「攻撃」となるでしょう。


けれども、しつこい甘えや依存、執着、逃げ癖は、
優しい言い方をしていては変わりません。


余計悪化するだけです。
私自身がそうだったからそう言えるのです。


自分に向き合う中で、
自分の甘さや未熟さに言い訳する自分を正当化せずに
毅然とした態度をとることで、

一時的にはとてつもなくしんどいけれど、
深く癒され、安心感と気力が回復していく実感を
生まれて初めて感じられるようになりました。


長い間私は、
「優しさ」や「癒し」というものを
一切攻撃性のないふわふわしたものだと勘違いしていたので、

そんな人ばかり引き寄せては、
節度やメリハリのない人間関係にいつも心地の悪さがありました。


お悩み相談をはじめて、
「愛あればこそあえて毅然と接する」
という訓練をさせて頂いていたからこそ、

今回帰省して、情に流されず親に伝えるべきことを伝え、
母の態度にも冷静になることができました。


できてる人はできている当たり前のことなのですが、
相手の為に必要ならば、
嫌われることも厭わない「攻撃性」
は尊く必要なものだと、
私はやっと気づくことができたのです。



親の立場である方は、
「子どものためを思って」と正当化して
子の人権を奪っていないかを自分に問うてみてほしいのです。



親との関係に悩んでいる方は、
親に感謝や尊敬の念があっても

伝えることはしっかり伝える必要があり、

それによって一時的に不和が生じても
決して不要な争いではなく、

相互理解になる建設的なものである
と気づいてほしいのですハート



ようは、
大丈夫だから
親を信じて言いたいことは言おう!
ということです。


その結果すれ違い、ぶつかり、否定されても
怖がらないで安心してくださいハート


親も一人の人間。
おもしろくない、不愉快だと感じる権利があります。


「親だからわかって」といつまでも思い続けるのは
幼い期待、甘えです。


そこから自分を解放するためにも、
しっかり自分の意思表明をしていくことが大切なんだと、
今回親と話してわかりました。



親を傷つけないようにと自分を抑えこんで否定すれば、
自分を傷つけることになります。


親を傷つけないために、
自分は傷つけていいのですか?
そうじゃありませんよね。


そこを伝えれば、多少時間がかかっても、
きっと伝わります。
なんとなくでも。それで十分ですクローバー


その結果、ケンカになったり
雰囲気が悪くなってしまっても仕方ないことです。


一人一人が、自分を生かして律して自然体で生きて
それを尊重しあって生きることが当然の権利。


だから、力関係は関係ないです。
伝えるべきことは伝えて下さい。


でも目上を敬う精神も大切です。


同時に、目上が全て「正しい」わけでも
「勝っている」わけでもありませんよね。


ではどうバランスをとるのか?
そのさじ加減がわからないから問題がおきるのだと思います。


解決策は、
理性的に、
伝わるように工夫して伝えるということふたご座


耳にたこかもしれませんが、
しっかりできているならコミュニケーションや
人間関係のことでストレスは抱えないはずです。


コミュニケーションをとるときは、
「わかってもらうこと」よりもそれが大事だと思います。


感情的に伝えては伝わりません。
辛くてしんどいからって、
もどかしくて頭に血がのぼったからって

「どうしてわかってくれないの!」
「どうしてこんなこともわからないんだ!」
という意識のままでは伝わりません。


一旦落ち着いて、
「自分のわかってほしいことは何か」
という部分に意識を向けて、
それをどうしたら伝わるだろうと考える。


相手に伝わることを意識して話す
=相手を思うこと

その意識で向き合えば、時間はかかったとしてもきっと伝わります。



自分がやりたくてやることも、
すべて相手を思うことで
うまくいくようにできているようです。


たとえば、
「歌手になりたい」という夢があるとして、

それが「自分の歌を聴いていてほしいから」というだけではきっと
活躍できる時間は長くないと思います。


途中からでも
「誰かの背中をおせたら」とか、
「生きる力を少しでも取り戻すきっかけになれたら」
とか、「癒しになれば」とか

「人のため」が大きな「やりたい」の理由になっていたら、
きっと息の長い歌手人生になるのではないかなと思います。
もちろん、日々のプロとしての積み重ねあってこそですが。


人を応援したり支えたりできる人は、
それが心に届いて人にも応援されたり支えられるからですキラキラ



だからどうか、
「攻撃性」の使い方を、間違えないでください。


がんばり方を間違えないでください。


遠慮しなくていいところで遠慮しないで下さい。


その歪みは必ずどこかに出て、
人生において足かせや、生きづらさになり、

攻撃の矛先が、誤った方向に向いて、
自分の人格も誤解され生きづらいだけです。
何もいいことなんてありません。


一人一人が日々自分を省みて、
自分を律することを意識して生きたら、
とても人の批判をする余裕などないはずです。


人の悪いところばかり目についてあれこれ言っているのは、
人の顔色や言動ばかりに意識を向けて、

自分にしっかり向き合わず、
自分をよりよく生きようとする意識がおろそかだから
なのだと思います。


だから、しっかり自分に意識を向けて、
雑音に惑わされないで。
人のことはいいから、まず自分のこと。


それだけで世界はきっとぐっとよくなります。


余力で、他者に「おせっかい」をすればいいんです。
やり過ぎない程度に。


だから私も、もう今までみたいに母と対話することから逃げません。
わかりあえないからこそ、伝えるべきことは伝える。
わずかでも、なんとなくでも、伝わればそれでいいのですから。


「わかってもらえない」と嘆くことはないんですよね。
違う人間なのだから、わかってもらえなくて当たり前。
少しでも重なる部分があることが“奇跡”ダイヤモンド


そう思ったら、なんだか少し気が楽になって、
家族という「魂の社会」で、
しっかり自分を表現して生きていこうと覚悟できました!


世の中、仲が良い家族だけではないですよね。
それが普通ですからね。
だから比べて羨んだり絶望しなくていいんです。


あなたの家族はどんな家族ですか?
そしてそこにどう向き合えば、
自他の尊重になりますか?


自他が尊重される着地点がベストな距離感であり、
自然体で生きていいんだという自信や安心感になります。


「仲良くやること」だけが
良い人間関係なのではなくて、

それぞれに適切な距離感や接し方があり、
それを試行錯誤していくことが人間関係というもので、

そこに良いも悪いもないということを念頭におけば、
きっと人付き合いの解釈がかわって、ストレスが減ります。


人の生きづらさやストレスの原因はほぼ、
将来やお金の不安と、
人間関係だそうですから、

身近な人との関係性に完璧やしっくりをもとめず
いい意味で「諦め」がつけば、
余計な力が抜けて、

「攻撃性」も使うべきところに
然るべき方法で使えるようになると思うのです。


「攻撃性」は正しく扱えば、
気力や体力を充実させて
生き生きと楽しく「生」を感じる人生にしてくれる
生命力の源だったんですね!


今まで否定していてごめん、これからよろしくね、
そんな感覚になれて、またひとつ
生きるための大切なパーツを手に入れられた気がします天使






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