☆掌編小説「カフカの絆」



 ある日カフカが朝起きた時、べッド・シートは濡れていた。そして、昨夜までの記憶も失われていた。彼は左手首のないことに気づく。と、言うのもサウスポーの彼は、寝起きの喫煙が欠かせないからだ。
 然し、彼はそれに動揺せず、いつものように洗面所で歯を磨き、顔に右手で掬った冷水をかけ、全き浄化の儀式を終えた。但し、髭剃りを除いては。
 そこにインターホンの軽快な音がなる。彼は、魚眼レンズから外の様子を覗いた。帽子を被った男が、黒手帳を取り差し出し、奥には部下と思しき長髪の刑事が立っていた。
 何のお咎めもなく玄関を開けた。そして
「警察だ。君の逮捕状がおりた。直ぐに身支度をしなさい」
と、言われたカフカは何食わぬ表情で、旅行カバンに服などを畳み込んだ。そして
「罪名は何ですか?」
「殺人だよ。身に覚えあるだろう」
「はい、実は昨夜リスボンの埠頭から海へ、車で突っ込んだのです」
「同乗していた奥さんと子どもが、死体となり浮いていた。今、車体を引き上げている」
と、警部補はボイスレコーダー搭載のスマホで撮った動画を見せた。
 リスボンの埠頭は、野次馬で混んでいた。クレーンがフィアットを吊るしていた。側には担架が二つ。妻と息子の2遺体だ。
「確かだね」
 彼は一瞬微笑みを浮かべるが、目からは大粒の涙が溢れた。
 フィアットが堤防に降りた。車の指紋や証拠品などを押収した警部補と平刑事は、場違いとも言えるある物を発見した。
「これは何かね」
カフカは、しどろもどろのドイツ語で 「使い果たしたコンドームです」
「カー・セックスか?」
「遠い昔のお話。シート下は掃除しないので」と、何の羞恥心もなく、カフカはにべもなく答えた。
 そして、マスコミどもがカメラを廻し、我先にと警部補にインタビューするが、彼はコンドームのことは告げなかった。
 そして、カフカは今、刑務所で横になる。手書きメモに「冤罪」の文字を書付け、暫し沈思黙考する。と、言うのも「あの時の記憶」が、まざまざと蘇ったからだ。
「お父さん、親子心中なんて辞めて」
カフカは更に車を加速させた。向こうには、並々と水を称えた大海が待っていた。
「さあペータ、眠っているお母さんを抱きなさい、ホップ・ステップ・ジャンプ!」
 警部補は、部下にコンドームの制作会社名の調査を依頼した。その時、ある第六感が警部補を覆った。それは母親と息子の下半身が、丸裸だったことだ。
「おい、こういう推理はどうだ。あの車内で何があったか。それは、まさに影の車だ」
「どうもコンドームにしては、大人にはちいさ過ぎます。カフカの嵌めるものとは、違う気がします。それに彼の偽証。精液はほんの数時間前のもの」
「そうさ、あのコンドームは一番小さなものなのさ。つまり、これは嫉妬からの心中事件だ。母子相姦が動悸だ」
 カフカは、手錠を嵌めたまま裁判所を出た。
 ここにも、マスコミのカメラやマイクが所狭しと犇めいていた。
「妻と息子は、性的関係を結んでいた。タバコを買いに行き、戻ってきた矢先に、私は見た。全て私がやりました」
 真の家族とは、真の親子とは、決して絆だけではない。親子間の愛情が高ぶると、そんな宿命を思い返す時、これは衝撃的な事件ではあった。
(了)