◇日々雑感「最早、ジェンダーではない」


 最近考えるジェンダー論は、確かに女性の地位は未だ低められていると言う事実を、蔑ろにしては論じられません。筆者は男性ですが、少なくとも日本社会を論じるメディアを俯瞰しても、未だ差別化は残存してます。
 然し、今や「デッド・マン・ウォーキング」と化した筆者に、このジェンダー論を語る資格はありません。最早、ジェンダーではないのです。

 所謂、「プア・ファミリー」と呼ばれる人々がいます。夫婦共働きでも、子供の養育費が払えない、そんな家族です。食べるだけで精一杯の家族に、ジェンダーについて質問するのは酷というもの。彼らは、一個の立派な共同体なのです。

 筆者は未だ独身。自分なりのジェンダー論は持っているつもりですが、ここではそれよりも、最早、ジェンダーよりも潜在的なところで巣食う、貧困層について語りたいのです。
 金満家は揃って言います。貧困は自らが招いた悲劇だと。確かにそうかもしれません。貴様らには、戦略が足りなかったと。それも真実でしょう。
 恋に破れて、或いは就活や婚活に躓いて自殺する人もいるでしょう。然し、それ以上に天災でなくなる人も居れば、貧困で亡くなる人もいるのです。
 それを、ジェンダー差別に還元する論もあります。若い女性の夥しいストリート・ガール化を嘆き、醜男だからホストもできない男の僻みもあるでしょう。その十人十色は、決して責任転嫁できません。
 社会とは、ことほどさように苛酷なるもの。故に最早、ジェンダーではないのです。それ以上に格差社会の激しさは、若者たちを蝕んでいます。その視点に立って、現代社会を考える必然性が出て来ました。
 プラトニズムにフェミニズム、そしてジェンダーレスにハラスメントと、この今の社会が孕んでいる全てをプラグマティズムで絡め取る時、嘗てはエコノミック・アニマルを演じていたバブルを知る者は、懐疑的になるのです。
 確かにジェンダー論は大切です。筆者も生きている内に、優秀な初の女性総理大臣を生み出して欲しいのは山々です。

 然し、格差の広がりはそれ以上に重大な日本が抱える問題となりました。それを第一義として、世帯主も経営者も、そして政治家も、この貧困問題に本格的に取り組んで欲しいのです。

 その昔、「最早、戦後ではない」と言う言説が流行りましたが、今や「最早、ジェンダーではない」を、筆者は声高に叫びたいのです。
(了)