◇日々雑感「天災も涅槃も、忘れた頃にやって来る」



 このところ最成病院に入院中の母親が退院を余儀なくされて、別の幕張町にある施設へと奇跡的に入所できたのも、何かの縁かとも言えましょう。
 それまで、寝たきりで病床から離れられぬ母親も、今度ばかりは、リクライニングの車椅子に乗り、散策もできることとなりました。まあ、不幸中の幸いとも言えます。
 ところが今度は、筆者の病態が悪くなり、余命過ぎたのも束の間、年内中だと言う話。まあ余生を過ぎて、生き残り過ぎたキライはあるが、このまま睡眠中に心不全にでもなれば、安楽死できるとばかり、睡眠導入薬を過剰摂取しようとも考える始末。
 でも、人間は中々死ねないもので、外に出るのも億劫となり、これは両脚が言う事を効かず、謂わば筆者自身も車椅子のお世話にならなけば、移動し難い状態ではあります。
 でも「おふくろより、先に死ねないね」とも語られる映画『トカレフ』の、最期の佐藤浩市氏の言説が、妙に脳裏に残りつつ、その実践を試みるも、最近倦怠感が酷くなり、脚よりも腕にも痛みが走り出しました。
 そして、視力の異常低下や狭心症の症状も酷くなり、時に針で付つかれたような痛みも増して来ました。まあ、満身創痍とは筆者の身体器官のことだと言っても、決して過言ではありません。
 動作も鈍りスピード感などまるでなく、独り生活こそが最適とばかり、映画鑑賞し、読書励行、そして音楽を聴く作業に傾きがちではあります。
 食事は昼と夜の二食に、飲酒量も減りました。外は雨、ならば自宅監禁が相応とばかり、引き籠もりの生活に安住の地を求めております。
 朝晩に水をやるハイビスカスの花が、今朝一輪咲きました。三年目。これだけでも、幸せの絶頂感となれる、謂わばこれぞ清貧のススメですね。まあ自分勝手に生きてきたのだから、死ぬことなど平気の平左。
 フランスはヌーベルバーグの雄ジャン=リュック・ゴダール氏の処女作をもじって『勝手に死にやがれ!』など、自作自演でやりたい欲求にかられます。
 まあ、人間塞翁が馬の故事ならぬ、昔は実は孤児であった筆者の、63歳の誕生日を忌日に焦点を絞ったが、遂に恥ずかしながらまた生き延びました。
 それよりも気になるのは、千葉の災害予報。土壌の悪い千葉に、直下型大地震が起きれば、千葉県民にもきっと大災害が起こるでしょう。筆者の小さな死よりも、生きている間は、この大災害からの避難を目標に生きています。然しこの身体では恐らく即死でしょう。
 その千葉県大地震を被った暁には、実に軽い死に方として無視されることを、寧ろ筆者はそれを喜んでおり、ドサクサ紛れで遺体をも判別できぬ死こそが、匿名的特権を担った死に方として望ましいと、最近よく考えます。
 「また千葉県北西部に地震」と、そんな情報がラジオから流れ、いつか皆、成仏するのです。
(了)