☆掌編小説「ウィントンの奇跡」
二枚組の二枚目。そこでは当時のマイルスのレパートリーでもある「ソー・ホワット」がかかっている。ハンク・モブレーの快調なソロの後、ウィントン・ケリーのスインギーなソロがこのジャズ・バーを覆うのだ。
私は、その時彼の左手のバッキングに着目する。そこでは、絶えずブロック・コードで奏でられるブルースの、密度に溢れたパッションが、無闇にも露呈されるのだ。
その時、唐突にもマスターは、
「ウィントン・ケリーの左手が見たいですか?」と提案する。
俄小説家の私は、一瞬逡巡する。そして、ここで仮想空間と戯れようと、
「ぜひ見せてくれ」と懇願するのだ。
マスターは、簡易スクリーンを天井から降ろす。プロジェクターには、マイルス五重奏団の映像が映される。そこで、私は虚構とリアリズムの混在した錯覚を催す。
それは、スピーカーから流れる音とマイルスのトランペットの音に差異感を抱くこと。
「これはレコードの音。映像との間に、ズレがあります」と、マスター。
「シンクロをお願いする。私は、ケリーの左手が聴きたい」
音と映像は同調する。そして、遂に念願のウィントン・ケリーの左手がクローズ・アップされた時、俄小説家は叫ぶのだった。
「そこで止めてくれ!」
何と私は、ウィントン・ケリーの左指に、黄金の煌めきを確認したのだ。モノクロ画面だが、その指輪からは、恰も熱情の音が奔出するかのような、幻想を抱かされた。
そしてマスターは
「実は、もう一人のウィントンの左手も見たいですか?」と提案。
私は迷うことなく
「勿論」
スクリーンには、ウィントン・マルサリスの映像が映る。然し、その時、突如トランペットが観る者を圧倒した。何と、ベルの部分が飛び出してくるではないか。つまり3Dの立体画面!
思わずのけぞる私。
マスターは続けて
「マルサリスの左手があるのですが、ご覧になりますか?」
私は思わず席を立ち、再び
「勿論」
何とそれは、トランペット・ケースに入った銅でできたレプリカ。トランペットと、それを握るウィントンの左手であった。
そこで、しっかと握られたトランペットからは、何と微かな音が、次第に拡大され、ジャズ・バーに響き渡るのであった。
「幻聴?」
「いや、これは現実音。この銅製のレプリカは、気持ち良い時、快適な音を鳴らします。今日、ウィントンは機嫌が良いのです」と、マスター。
やがてジャズ・バーには、ウィントン・マルサリスの発する生音が充満する。
「これにレコードの、さっきのウィントン・ケリーのピアノ・ソロを、バッキングで被せてくれ!」と、奇矯にも私は言い放った。
今度はマスターが
「勿論」
これにて、ジャズ史に新しい伝説が確立された。何とウィントン・ケリーと、ウィントン・マルサリスの競演である。その間には、およそ60年の差異があるのだが。
この類まれな時空間の超越に、マスターも俄小説家の私も驚愕する。そして満足。会計を済ませ、俄小説家の私は、火のついた煙草を咥えたまま、実に颯爽と外へと出る。
そこに、どこから来たのか突然、入れ違いに、痩躯の黒人男性が入って来る。
「エクスキューズ・ミー、サンキュー」
「どこかで見た黒人だ」
それは何と、トレンチ・コートを着たマイルス・デイヴィスその人である。その姿は、『ブラックホーク』のジャケットと同じもの。口には、ジタンの煙草を燻らせながら。
その後を見たい誘惑に駆られた私は、外からガラス越しに店内を覗く。
マスターとマイルスは紫煙の中で、上機嫌で談話に熱中している。空からは、白いボタン雪が深々と降ってくる。
実はもう5月。26日はマイルスの、29日は俄小説家の私の誕生日。ここ辺境の地のゴールデン・ウイークに、このボタン雪は、「ウィントンの奇跡」をもたらしたのだった。
(了)