◇日々雑感「ナナとチャペーペットと暮らした16年ー」





 ナナは犬の名前。チャペは猫のそれ。16年間付き合ったペットと暮らした年月の、これは一端であります。チャペの方が先輩格。ナナは後輩に当たりますが、家族の中では後者が人気者でありました。

 チャペは、猫の本能とも謂える控え目な性格。ナナがそばに近寄ると、チャペは相手にもせず、ナナから遠ざかるばかり。この二匹の性格の不一致は、喧嘩を起こさぬ原因となっていました。

 このお互いの抑止力は、上質な漫才にも匹敵する行動を示してくれました。老年の親夫婦と筆者と、そして妹の四人家族の紐帯ともなってくれました。第三者を和ませることに於いては、ツッコミのナナにボケのチャペと謂う、理想的な漫才師を演じてくれました。彼女らもやはり、現代に生きる優秀なるパフォーマーであったのです。

 ナナとは、その習性から極めて大変だった記憶があります。それは朝と夕方の散歩にも言えました。その頃から、両足に悪性関節リウマチを抱えた筆者は、彼女の散歩のお相手に選ばれたようです。

 いつもの散歩コースを歩むナナと歩けば、日常生活の煩わしさと足の痛みからも解放される自分がいました。そして、ナナにとっても家での閉塞的生活からのフラストレーションを解消させる、唯一の行動だったと思います。

 チャペとは、より長かった年月を感じます。それは癒やしの対象ともなりました。気が向くと筆者の部屋に入ってきて、食べ物は無いかと色々なものを、その鋭い嗅覚で探ります。それは、人間なら卑しい行為と写りますが、チャペの場合は、やはりヒーリング効果満点の可愛らしさ。

 ナナの散歩で面白かったのは、やはり公園デビューでした。最初から人懐っこく、他の犬にも、そして彼らの飼い主にも挑んでゆく、ナナはまさに稲毛東公園のスーパースターでありました。

 チャペはその点、可哀相でありました。一日中屋内で過ごします。然し、それは家族との触れ合いを確認できる、チャペの居場所として完璧に近かったのでしょう。抱いて外に連れて行っても、絶対に地面に降りようとしません。それは、野良猫にはならぬ、チャペの意思表示でもあったのです。

 彼女たちの最期も、哀れと謂えば哀れでした。その傍若無人とも謂える振る舞いから、暴走犬とも擬えたナナは、極めて静かに母の膝上で亡くなりました。

 16年生きた時代に、ナナは櫻庭家の住人をどう思っていたのでしょう? それをナナの立ち居振る舞いからかぎ取った筆者も含めた四人家族は、彼女の葬式で涙しました。どれだけ泣かされ、どれだけ励まされ、そしてどれだけ癒やされたかは計り知れないのです。それはまさに、人生におけるプレシャス・メモリーズとなりました。

 チャペの逝去を見届けたのは、他の三人がスーパー銭湯に車で出かけた夜。クリント・イーストウッド監督作品『ミスティック・リバー』をビデオで再見した時、彼女に死が訪れました。

 ひとりの友の死を悼む時の痛烈なる悲劇的要素を、実に丹念に描いたこの映画に、更なる感動を催した筆者は、そこで必死にひとりで立とうとする彼女の健気さ溢れる最期を確認しました。それは、16年生きた彼女の最期の存在証明とも謂えましょう。

 何も無い空虚感だけが、家族の中に充満しました。それは、この空間に想い出だけを残しました。然し、彼女らはこのどうしようもない家族の中に、何かを残しました。それは、癒やしの効果だけではない、家族の一員としてのデザインであります。インテリアと言ってしまうには惜しい、それは人生の友であり、まさに魂の姉妹と言っても、決して過言ではないでしょう。

 最期に、この二匹に只一言書き添えると、まさに

「ありがとう」の16年でありました。

 「本当に16年間、御苦労様でした」と、墓前に供えたい彼女たちは、櫻庭家だけでなく、稲毛区全体に咲いた、永久のヒマワリに他ならなかったのです。

(了)