◇日々雑感「マイ・ライフ、マイ・ソング」
ー私の生活の中のキース・ジャレットー
心に移りゆくよしなしごとを、密やかに綴ると、思わずキース・ジャレットのピアノのメロディーが口をついて出る。それは清涼感溢れる新しい風かのように筆者の鼻先に吹き付けるのである。
それを我が快感原則に照らし合わせると、コードレスの掃除機を動かす右手が不覚にも異常とも思える俊敏さで部屋を縦断する。
そこにキースのピアノがチャーリー・ヘイデンのアルコと深く絡み合いポール・モチアンのパーカッションが心地よく筆者をスイングさせると、掃除機はいとも簡単に塵埃を吸い上げる。
ふと「マイ・ライフ」と謂う言葉が口から漏れる。これも私の人生の一コマ。そんな感性が部屋中をキースのトリオの音で埋め尽くす時、彼の名曲「マイ・ソング」のメロディーが脳裏をよぎるのだ。
「マイ・ライフ」と「マイ・ソング」。キース・ジャレットにとってはこの二つの言説は恐らく等号で結ばれるであろう既成の事実。
筆者のジャズ人生のなかでも、この二つの言説こそは、嘗てボブ・マーリーの名曲「ノー・ウーマン、ノー・クライ」をもじって「ノー・ライフ、ノー・ミュージック」 の言説をも想起させるに足る重要なるテーゼだ。
つまり「音楽のない、人生はない」。これこそ沈黙と音楽を分かつ極めて重要な言説もないであろう。それは新型コロナウイルスの蔓延とロシアのウクライナ侵攻による世界の不安を払拭するほどの威力を持った言説だ。
筆者はその頂点に位置するべき、現存する現代のジャズジャイアントこそはキース・ジャレットが相応しいと思われるのだ。それは彼の音楽歴からもその波乱万丈な人生からも読み取れる。
時代の変化が彼に及ぼした幾多の動揺とも思える推移から変幻自在さを音楽に注入した事実はその音楽活動からも窺えよう。
そして今やキース・ジャレットの音楽は、あらゆる国境を踏破して世界中に波及している。ジャズやフリージャズそしてクラシックと、幅広いジャンルを跨ぎ活躍するこの現代の巨匠の最期を見届けたい、聞き届けたい一心で彼の音楽に接する筆者は、こんなポエムを編んでみた。
♡『マイ・ライフ、マイ・ソング』
これまで私は
幾つの音を
聞いてきたか
それを聞くたびに
蝉の脱皮に近い
感性の錬磨を感じてきた
それは喜びと哀しみを孕んだ
快く疲弊した
甘美なる人生のイニシエーション
そう
「マイ・ライフ、マイ・ソング」
こう繰り返す口舌の徒は
沈黙の美学を知らぬ
愚か者の言説か?
いや
「ノー・ライフ、ノー・ミュージック」
こう呟く時の
包容力の豊かさに
沈黙と触れ合う音こそ!
やはりキース・ジャレットには
相応しい官能の果てだと
私は今でも思っている
フォーエバー・キース!
(了)