◇日々雑感「横綱は一番先に帰る」



 「近頃のラジオの相撲中継は、とても丁寧で分かりやすい」と視覚を失った父は、口癖のように繰り返して言ったものだ。「公僕たちの作るラジオの生中継は、とても進歩した」と、彼はいかにも自分が日本国家を代表しているかのように言い放った。

 「その話を芝居にしてやろう」と、下北沢に住む友達は仕切りに繰り返した。彼は、とある日常のスケッチを些か斜に構えて描く劇団の座長だった。それは筆者にとっても、父にとっても、とても満足のゆく寸劇となるだろうと期待した。

 そして二ヶ月が過ぎた。筆者と父は、本多劇場までその芝居を見に行った。芝居が終わり、父は一言「これは寸劇ではなかったな。父親と息子の紐を相撲を通して、しっかりと描いた見事なお芝居だったよ」「座長の友達に、その批評を伝えておくよ」

 さて、筆者は本多劇場の前で父と別れて、楽日を終えた打ち上げに参加した。下北沢には、特異な居酒屋が並んでいた。その宴会場の居酒屋は、ジャズのかかるちゃんこ鍋を主食とする、鍋料理専門の居酒屋であった。

 「さて今夜はお開き!」と座長の締めの言葉には、力が籠もっていた。次回も相撲を主題とした不条理劇を、想定しているらしい。「今夜の料理は、サイコーだったわ。全国各地から仕入れた、日本酒にも唸ったわ」と、ヒロインを演じた友達の彼女は、酔いを感じさせる話し方で語った。

 然し、これは全くの仮想の演劇。これまでの話は、全てフィクションだ。筆者は読者を騙す覚悟で、このエクリチュールと戯れた。

 もし、オーソン・ウェルズがこの場にいたら、どんな言説を吐くかが気になる。もし、ヒッチコックがこの芝居を映画に撮っていたら、ちゃんこ鍋の円形のフォルムに、来たるべき殺人の記録への予兆の一環として利用したろう。

 過去の偉大なる詐欺師たちよ、筆者はまんまと読者を欺けたであろうか? 「フィクションの書き手は、一人の立派な詐欺師として君臨しなければならぬ」が持論の座長は、演劇界のウェルズにも、ヒッチコックにも成れぬ自己嫌悪に陥っている。

 実はここは、新宿の台湾居酒屋。ビーフンを主食として、ピータンや豚肉料理をメインとした様々なメニューを書いた値札が、四方の壁に犇めく。それは全てカタカナ書きだ。

 筆者は、座長と劇団の台湾出身の主演女優と三人で、去年の冬場所で優勝した力士の横綱・大公関について語り合った。そして結びの一番として、台湾風カクテルとしてテキーラを所望した。

 まだ寒さが残る夜空には、星座を成す数多の星が煌めく。その輝きを相乗するかのように、満月も光り輝く。三人は花園神社に至る。筆者は落ちていた小枝を拾い、円形を象る。それは私たち三人の人生にも、表象させた土俵である。

 彼女が行司となり、筆者と座長は十二番取り組んだ。まさに最期の取組では、彼女の物言いが出て結果として十三番取ったことになる。結果は筆者の八勝四敗。勝ち越した訳だ。

 彼女と座長は、土俵の中心でキスをする。筆者は土俵際で、自販機で買ったビールを呷る。

「やれやれ未来の夫婦善哉よ。俺は一人酒を飲む」

「貴方も土俵に入れば」

「だめだよ、土俵で力士が三人は」

 そこで小枝を軍配にみたて、筆者は行司役を買って出る。男と女は、力士と化して相撲を取る。なんと彼女は、猫騙しを使い座長をはたきこんだ。

「彼女こそ横綱!」

 筆者は、一つの青春を終えたと思えた。来たるべき新世界が、相撲と謂う闘争劇として一個の芝居を作った。それは決して、フィクションなどではないと、自覚したい。

 その時、朝日が初春にしては、心持ち明るく差して来た。筆者も座長も土俵の中から離れられない。行司役の筆者は言った。

「彼女は横綱。新宿駅の上り始発で、帰って良し!」と。

(了)