◇現代断腸亭日乗2018・11・26(月曜日)

☆『都内への電車内で読む樋口一葉的文体にも比すべき転用とフォルムへの固執が、ジャズ史の未来を占う奇跡を興した欧州と日本のインプロバイザーたちの夜』

 久しぶりに都内に出向くのも、昨夜の新宿ピットインに於けるアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ氏率いるトリオ+高瀬アキ氏のライヴを聴くためです。総武線の鈍行を選ぶのも、一昨日までの三連休明けの昼前を選んだのも、雑踏嫌いの筆者の性格故。新宿東口の地下道を選ぶのも、アングラ好きが昂じた結果。あっという間に新宿ピットインにたどり着き、先ずはチケット購入。すぐさま地上へと出た刹那に、眩暈にも酷似した病的症状を醸すのも持病故。
 電車内で赤ペン片手に熟読するは、樋口一葉氏「にごりえ」の再読。ここにも、ヒロインお力を中心とした様々な人間が持つ疾病が認められます。それは明治プロレタリアートというよりも、漱石や鴎外等の日本近代文学の礎となる記号とも謂えましょう。
 それを一葉氏は、器に盛られる酒やコスチューム・プレイとしての衣服に包まれた人々が保持する病気を弊害の産物として提示します。記号が記号たりえる彼女の特異な文体と記号のせめぎあいに、シニフェの記号体験を読者に施すのです。
 ここでの液体は、盥を使った行水や祝い酒にも準える祝祭と浄化作用を促す記号としても君臨します。この善悪をまたにかけたオルターナティヴな液体が示唆する世界は、一葉的空間に於ける表象形態に克明に刻み込められます。
 明治文学にあって只ひたすらフェミニンな記号を、装飾化と病的な性格の名の下に開陳した彼女・一葉氏の、これは極めて大胆な冒険でもありましょう。女性文学の起源を平安時代の貴族文化が齎した流れるような独自の文体の中に見出だし、明治時代の最下層の貧民という階級関係の中で咀嚼した一葉氏の、これは独壇場として記憶したいのです。そこには、平安時代から明治時代へという時代の変遷を説き明かす、日本文学史を鳥瞰する上で絶好の材料として認められましょう。
 話を本道に戻します。ライヴ開始まで3時間強。筆者は今、中華料理に舌鼓を打ちながらビールを飲みます。夕陽の沈む時間が目覚ましく早い、此処は新宿三丁目。恋人同士の会話に耳を傾けながら、ひたすら中華料理を喰らうのです。
 最近飲酒にひ弱さが目立つ筆者は、ジョッキ一杯で我慢。幼子を連れた三人家族の団欒図にも、中華料理は役立っているでしょう。そんな団欒図から遥かに遠退いた筆者には、こんな家族がこれからの明るい日本の未来を担うものだと一人ごちるのです。それほど、新宿は人情に厚い都市空間を形成するトポスともなりました。陽が暮れても新しい光を、この家族は我々に照らしてくれるのです。これぞ、街の灯と呼ぶに相応しい。いつの世も、子供は世界の宝であるのです。
 愈々ライヴ本番。立錐の余地無しとでもいいたくなる混み具合に、流石シュリッペンバッハ氏と高瀬アキ夫妻のネイムバリューの高さが確認され、しかも共演者がエヴァン・パーカー氏とポール・リットン氏という逸材も加味され、そこに会場が老舗の新宿ピットインだという事も相俟って、集客数も増えたのでしょう。
 演奏は第一部では、シュリッペンバッハ氏のピアノがモチーフの断片を奏でる事で、トリオ全体の牽引役を図っているように思われました。エヴァン・パーカー氏は終始テナーを吹きます。そこでは、サーキュラスなソロによりサークルの概念を醸す音のフォルマニストに徹するのです。ここでパーカー氏はノンブレスのスパイラルなフレーズを多用化させる事で、トリオに新しい風を吹き込む役まわりを担います。ポール・リットン氏はバスドラとシンバルを周縁の領域に保たせる時に、スネアの小刻みなパルスによりトリオの基盤をフレキシブルに奏します。
 第二部では、高瀬アキ氏とシュリッペンバッハ氏によるピアノの連弾が、タンゴの趣で奏されます。ここでは拡散化された複数の記号が次第に収束してゆく時に認められる、この二人の精神的結合の喜悦を聴く事ができるでしょう。それは続くバッハの曲に於ける速度と運動性を極限にまで高める音の強度の高まりの中で展開される事で、彼等の傾倒する西洋音楽にジャズの持つ遊び心溢れるアレンジを施します。
 それはストライド奏法によるラグタイムにまで行き着く編曲によりクライマックスが訪れる時、まさに連弾ならではの瞬間の芸術が、ジャズ史を一瞬敷衍させる錯覚を聴く者に抱かせるでしょう。これこそが即興演奏の醍醐味だと納得させる、実に訴求力に満ちたテクニックとパワーの混然一体化です。
 そしてもう一つのハイライトは、第一部のトリオにアルト・サックスの守護神とも準える林栄一氏の参加による二管の演奏。恰も双頭の鷲とでも呼びたくなる個性と個性の衝突が、あらたなるインプロの可能性を帯びます。それは、モチーフを解体しながらも各メンバーが互いの音を精査に聞き分ける事で成立するコミュニケーション能力を、最大限にまで引き出したまさに好演。
 当然の盛り上がりがアンコールの拍手により顕在化し、本日の演奏家全員による集団即興演奏へと突入します。そこでは感動を通り越した聴衆の魂を揺さぶるスイングとグルーヴの根源が垣間聴ける、音の透視図が窺えましょう。
 ここで来るべき未来へと飛翔するインプロ音楽の粋が味わえたのも、もはやベテランの域に達したこの音楽家の集合体が、自ずと形成する五つの輪としてそれぞれ重なり形作るオリンピックの意匠が思い浮かびます。その共通項に友愛の記号が露出する時、最期にはまさに五つの大輪が開花する極めて優雅なセッションという名の闘争の果ての平穏さが辺りを支配したのです。
 この夜の奇跡は、アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ氏もエヴァン・パーカー氏も高瀬アキ氏もポール・リットン氏も林栄一氏も、先述した樋口一葉的文体を即興曲に転用したかのような、まさにフリー・ジャズの本道を聴かせてくれました。
 そしてこの夜の新宿からの家路につく筆者の目前には、早くもクリスマスを祝うかのような若いカップルの群れが溢れており、この少子高齢化社会とは一見無縁な彼等が、やがてそれぞれの家庭を作り、子供と共存共栄する事で繁栄を謳歌できる日本の将来像を予見したい誘惑に駆られたのも、やはりこのライヴが確認させるベテラン達によるジャズの未来探訪の成功に起因するのでは、と納得した次第。
(了)