今朝のコラム「女の気持ち」の読後感は、次第に冷淡となりつつあるこの国に、一服の清涼剤を齎すものであった。
    時に「親切」が仇になる昨今に、何事にも便利な国・日本に於いて、2児の小さな子どもを育てる母親のこの美談は、まさに「親切」の大切さを訴えるに余りある程の感動を、読者に催す事だろう。
    事の次第はこうだ。彼女は、3歳と4ヶ月の2児を育てる身。不安と共に、ベビーカーでバスに乗車した彼女。乗車時に女性がベビーカーを持ち上げ、而もベビーカーを置ける位置にまで誘導、そして席まで確保。降車時は男性と共に運転手さんまでが、その「親切」に参加してくれたという記憶に残る美談である。
    彼女の「言い知れぬ感謝で目の前がにじんだ。この国でも親切の花がたくさん咲いているのでないか。大切なものを失っていないではないか」という説得力溢れる叙述には、「親切」を花に喩える事で、其が他人へと波及させる効果が決して悪い方向性を持たぬ事。そしてこの「親切」の花が、益々花開く事となる方向性の確立こそが、冷えきった今のこの国に不可欠な要素である事を十二分に諭す、此は極めて啓蒙に満ちたエクリチュールである。
    彼女は最期に「親切」の輪を繋げる事こそが恩返しとなり、子ども達に継承される時こそが、日本中に「親切」の花が咲き誇る時代の到来だと説く。その願いが読者にひしひしと伝わる、此は名文と謂えよう。
    人の情けが仇とならず、この「親切」の花の種が全国、いや全世界に蒔かれその開花を期する時、今の不安定な世界情勢さえも良い方向に変える作業の、此は一環であると理解した。
    この心暖まるコラムに筆者は思わず、「朝刊よ、今朝も有り難う!」の快哉が、内省で谺した事を確認した次第。
(了)