毎朝の4コマ漫画は、煙草の吸えなくなった筆者に一服の清涼剤の役割を果たす。そして今朝の4コマは此。日本人の古里である茶の心は引き立てのコーヒーと同様に、もてなすお客様への感謝と憧憬の念をもって然るべし。
    この茶とコーヒーの共通項、即ち作る側の心意気を推し量る事のできる善きお茶仲間そしてコーヒー友達との付き合いこそが、最高の友達であると認識する。
    筆者等は、其を真の音楽を求める作業と同等と見なす。加うるに孤独と対峙する者が音を聴く人間へと変貌する時、其処には味覚と嗅覚そして聴覚との絶え間ない交錯が認められ、視覚を犠牲にしてまでもスピーカーから発せられる音へと集中し、その快楽を追及する時、まさに自分が音の狩人と化すのだ。
    美の刹那の連続体としての音楽に興じる楽しみ。其は孤独からの逸脱を試みる為に、筆者は最高のオーディオ機器で再生される音楽喫茶のお世話となる。ここにも、コーヒーが似合う風景のヒトコマが確認できる。そしてここに於いては、視る快楽も発揮されるのだ。
    最近のアナログ・レコードの復活は、インテリアの役目を担う30㎝のジャケットへのビジュアルな美の求道者によるリバイバル・ブームだと位置付けられよう。其処には、アルバム作りに携わる数多のエキスパート達の努力の結晶が認められる。
    そして重要なのは、其が決してノスタルジアでは終らぬ「記録」という概念、つまり制作された時代に纏わるアルバムとの関連性、そしてその音楽家の時代状況という、歴史的考察が幅を効かす時起こる生々しさであろう。
    然しこの生々しさは、現代的風土の中でもどうしても息づく宿命を背負う。其は恰も自分がそのコンサートやスタジオに参加しているかのような臨場感溢れる聴覚装置、つまりオーディオ機器の発展にあろう。
    ソフト&ハードは、時代を超越して人間を魅了する。名盤や名演は、いつの世も変わらぬ感動を聴く者に寄与するのだ。其処にコーヒーやお茶という癒し系の嗜好品が嗅覚と味覚で共存共栄する時、人は最高の贅沢を味わうだろう。此らは、音楽を聴くお客さんとのコミュニケーション・ツールとして、いつの世も君臨すべきである。
    音楽喫茶とは、そんな贅沢を享受できる数少ない都会のオアシス。音楽という「記録」を快楽に満ちた「記憶」に変換させる原体験ができる音楽喫茶の存在意義は、永久に語り継がれるべきであろう。其は心のオアシスでもあるからだ。
(了)