この新聞の小コラム『雑記帳』には、いつも釘付けされる。極めて日常的な題材を扱いながらも、独自の視点からの考察が功を奏する。今日のお題は、長野市の老舗味噌メーカーすや亀の『帰って来た木桶』のお話。
   今や味噌は維持費等の面からの経済学に則ればプラスチック容器で作るのが相場と思われた矢先に、このように割れかけた竹の箍や板などを修復する作業場が筆者が学生時代の殆どを過ごした堺市に存在するという事に驚きを隠せない。
   堺市は今でも、大阪府のベットタウンとして政令指定都市に位置している。然し昔は数多の古墳群や名所旧跡に囲まれ、堺商人に代表される遣明貿易経営の要の港として君臨。かの宣教師フランシスコ・ザビエルも、その書状で多くの金銀の流れ込む貿易港として名を成し早くから自治都市として発展していた事を伝える。又、茶の湯文化に多大なる貢献を果たした千利休らの名匠を輩出した。
   つまりは、時代の先端を走る江戸時代は直轄地として栄えた商人の町・堺として、この自由都市は平成の今でも刃物や日本酒、そして味噌やこの桶作りといった日本の伝統文化を保護する、まさに大阪という日本の台所を支えるその南の都市の存在意義を保っている。
   伝統と革新が息づくそんな堺市から『帰って来た木桶』のこの勇姿は、日本の食文化に欠かせぬ味噌汁の主役であるお味噌を作る原動力だ。多少高くとも、桶職人の仕事がなくなるからというすや亀社長の心意気良し!
   新しき芽を出すには、肥えた大地が必要不可欠。此は何も植物だけではなく、森羅万象に謂える事。「温故知新」という故事成語の意味を遺憾無く発揮したこの記事に、筆者は実に胸が熱くなった次第。
(了)