病気による差別化現象に歯止めを掛ける為に、この「ハンセン病資料館  全国に」の見出しを拡張している我が国に、筆者も将来の運営継続を要望したい。此処には入所者の減少と、その高齢化がもたらす後世への継承の重要性が説かれている。
   ハンセン病者の歴史を残すため、今、我が国は彼等の悲惨な生活への保障を守りつつ、その高齢者の病人への聞き取り調査と共に歴史的相貌を引き継ぐ為の資料館運営を、国自身が行使する事を訴えるのが、この記事の趣旨だ。
   国の厳重な管理下にあるべきハンセン病患者の殆どは、高齢者となった。この病の根源を辿る為には、是非とも資料館開設へ尽力するのが必然的となる。然しこの資料館の担い手不足という弊害を打破する為には、国営化が望ましいのは当然であろう。
   彼等社会的弱者への救済は、国家レベルで語られるにしくはない。ハンセン病により村落から追放された庶民の歴史は、映画化もされた『砂の器』でも明らかなように、言うなれば日本という国の暗部を形成してきた。其処に光を当ててきたのも行政による指導と、基本的人権の尊重を謳う「日本国憲法」あったればこそ。
   国立ハンセン病療養所の資料館運営の後継ぎを担うのは、高齢の入所者だけでは到底無理。若手の到来が待たれるが、「国立」と冠されているからには、やはりここは国家が運営すべきだろう。
   その表層の醜さが差別化を助長させるハンセン病を患う者の尊厳を守るには、この資料館存続は日本国家そのものの責務である。人間が生きる権利を有するハンセン病患者の生活向上を、日本国は身をもって体現して頂きたい。そしてその歴史的真実を覆い隠す事は、まさに言語道断なる振る舞いと謂っても過言ではないであろう。
(了)