ピコ太郎の甘い囁きに煽動され傷付いた外国人の、特に女性は多数いる筈。
   と云うのもこの無国籍、つまりコスモポリタンな存在に拍車をかける東南アジア風の発音(パ行が多い)の言辞を大胆にも造語として用い、独特のリズム感覚(ヒップホップを幼児化した)で味付けした、まさに無償に帰する原理主義を標榜するナンセンスな男性的な大衆演劇には、最早グローバルの範疇を遥かに超越した浮遊する位の軽やかさが魅力的であり、此は女性性を前にして遁走する位の軽やかさを秘めている。

故に模倣する女性が失笑を買うのも、当然至極であろう。
   其が男性性を担ったジェンダーの過酷な迄の執拗さを纏う事で、彼自身のプライドがその芸に見え隠れする時、観る者はその者自身が模倣者として辺りに君臨する事を、恰も其が宿命であるかのように振る舞う。
   其が女性性による選択ならば如何にも現代的風土に則った魅惑を辺りに振り撒くのだが、如何せん現代的な男性性がそのホルモンを喪失するにつれ、彼の内省の領域、或いは身体器官のピコ太郎は、図らずも崩壊するのである。其には、女性の不参加が彼にとっては生き残る手立てともなるであろう。
   其処に現代に於ける男性性の衰退を確認するのも、ジェンダーさえが無償化される冷徹さが、特に都市空間では弥が上にも行使されざるをえない状況であるのだ。其を覆すべく男性性を奮うと公安が黙っちゃいない。
   現代に於ける女性性の君臨に、ピコ太郎はカリスマとして図らずも抗議する。そして女性にとっては一人の異性(即ち女性以外の性であり、勿論其処にはホモやレズも含む)への軽蔑と畏怖が渾然一体となった彼(?)こそは、まさしく「シンゴジラ」を遥かに越えた怪物モンスターとしてメディアを凌駕する、インターネットの神様の位置に収まるであろう。
   ピコピコサウンドは、都市を浮遊しやがて大地に塗布される。そして肥料ともなり、やがては収穫の一助ともなるであろう。その時ピコ太郎は大王として、その植民地を、そして人民をも動かす存在として覇者の領域を獲得するであろう。
   それこそが彼の使命であり、聖域だとも思われる。故に是非とも公衆の面前は、差し控えてもらい、次なるYouTubeを期するのみ。
(了)爆笑