嘗て大島渚監督率いる「創造社」の脚本家の要として君臨した田村孟氏をご存知の方も、今となっては少なかろう。
   こと映画に於いては、女性を主役に据えた其よりも、男性中心の映画の中で一見希薄そうに思えて、実は女性が中性的で濃厚な存在感を担った作品を3本選ぶと、先ずは大島渚監督の、当たり屋家族の日本縦断を追った傑作『少年』の妻役の小山明子氏が浮かぶ。
   傷痍軍人の妻役として義理の息子に当たり屋を演じさせ、自らも車に轢かれたかのように振る舞う犯罪者を演じた彼女は、それまでの大島作品よりも官能的な場面でさえ、どこか中性的で男勝りな素振りが冴えるのだ。
   其は映画戦略の一環として大島監督よりも、筆者には田村孟氏のオリジナル脚本に依拠された結果のような気がする。
   この女性像を恰も予言したかのような田村氏唯一の監督作品『悪人志願』の炎加代子氏扮する準主役は、飯場という男ばかりの職場で食料を運んだり、洗濯物を処理する影のある役をこなす。
   彼女にもエロス漂う外見を払拭するかの如く健気で実直に振る舞う事で、女の生理を隠蔽する冷徹さが窺えるのは、上下関係に抗うあの鋭角的な視線の存在であろう。その視線が醸す一触即発の葛藤劇は実に新鮮であり、ここにもジェンダーの差異を排除する田村氏らしい、女性の中性的魅力が横溢している。
   そしてトリは、長谷川和彦監督のデビュー作品『青春の殺人者』。
   ここでも水谷豊氏演じる主役の親殺しに絡む片耳の聴こえぬ少女役の原田美枝子氏は、例え全裸の場面でさえ何故か官能よりも母性が先走り、窮地にある水谷氏を助ける少女と大人の中間に位置させる事で、根は純粋な彼をひたすら援助する役柄を、田村氏の脚本はまさに中性的女性の土着的な存在として描き、原田氏演ずる現代的女性が失ったその魅力を、長谷川監督は見事に引き出している。
   此は青木八束氏名義の、或いは田村孟氏の小説についても同様。
   登場する女性の多くは、土俗に根差した田舎の働き者ばかり。男達の言いなりだが、何故か反抗する刹那に男ばりの仕種を示す。其処に中性的魅力が漂う時の緊迫感こそは、殺意と狂気が愛情の代替作用を施すのだ。
   以上、取り合えずの田村孟氏の女性像の魅力の一端を、開陳致しました次第です。
(了)