光は贅沢品だ。

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 今年最後の茶会があった。茶の湯では夜におこなう夜咄という形があり。正式には茶懐石のつく茶事だが、今回は濃茶薄茶席にその形を取り込んだ。

 電気によるふんだんな灯火を使える私たちは麻痺しているが、スイッチを切り闇に火が浮かぶとそのありがたみを感じることができる。

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棚横は短檠(たんけい)のあかり

 闇は感覚を鋭くすることも、改めて思い出す。私は時々灯りを消して風呂へ入る。闇に戻った途端に鼻、耳、といった目以外の器官が活き活きと動き出し、知覚していなかった情報が次々に跳び込んでくるのだ。虫の音、隣家の物音、肌に触れる湯の感触、石けんの香り、木桶の匂い、そして湯にも薫りがある。

 和蠟燭が揺らぎ、炭が香り、茶釜の湯がコーとたぎる。茶釜の音を松濤とは良く言ったものだ。暖房せぬ部屋は炭と人のぬくもりで充分暖かく、なんとも言えぬ豊かさが満ちた。

 東日本大震災の時、東京も減灯し私は夜空の贅沢さを痛感したものだったが、わずか六年。もう忘れている。

 豊かさは足下にある。それを感じるのは自分次第。たまには目を閉じてみるのもいいかもしれない。