じわりじわりと衰えを感じている。急に以前のようにできなくなり、驚いたというか少なからずショックを受けたことがある。

 

まず記憶力。

人の名前がすぐに出てこなくなった。特に若手の芸能人。えーっと誰だっけ?ゆっくりゆっくり「あ、か。さ、た、な・・」と名字の頭文字を探していく。

 

次に体力。

ペットボトルのキャップを開けるのに悪戦苦闘することが増えた。

 

このところ環境に配慮してなのか、資源ごみに出すのに潰しやすくするためか、柔らかい素材のボトルが増えた。持つ部分がしっかりしていないので、ひねる力をうまく伝えることが難しくなる。飲みたくて買ったのに、今すぐ飲みたいのに、ウンウン唸っている自分がいる。

コンビニだったら店員さんに「緩めてくれない?」と頼めるかもしれない。でも自販機に頼むわけにはいかない。

 

もうひとつ、体力というか気力なのかよくわからないけれど、衰えを感じること。

漫画雑誌を一冊読むのが大儀になった。

 

少女漫画も青年誌も読む。好きな連載の続きをできるだけ早く読みたいので、単行本でなく

週刊もしくは月刊紙を買う。この連載が終わったら毎号買うのはやめようと思うのだが、お気に入りの作家は複数いて、一人の作家の連載が終わっても、他の連載の雲行きが気になる。そしてまた別のお気に入りの連載も始まるという無限のループの中にいるのだ。

 

昔の少女漫画は十代を対象にしていたと思うが、最近の少女漫画はターゲット層が厚い。

かつて『少女まんがもおとなになる』という感じのコピーで発刊された雑誌があった。(『ぶーけ』かな?)なるほどと思った。『りぼん』や『なかよし』を読んで、大人になった元少女達を読者にしたのだ。官能的な印象のレディースコミックとは異なる世界だ。私も含む『りぼん“OB”』が昔熱狂した陸奥A子さんや田渕由美子さんもたまに登場していた。画のタッチが昔とは微妙に違う。主人公は無邪気な中高生から大学生やOLになり、ハッピーエンドが容易に予測できるストーリーではなくなった。時には秘密の恋をしていた。恋愛模様だけでなく、仕事(働くオンナ)をテーマにしたものもある。主人公は恋もする。でも恋のてんまつがストーリーの核ではない。恋をしながら自分を探していて、あくまでも自分の生き方が中心なのだ。

フィフティーズファッションをまとった、ありえないくらい細い手足の女の子を描いていた小椋冬美さん。久しぶりに見た、彼女が描く女性はふくよかな胸をしていた。二の腕も豊かだった。雑誌でしばらく見なかった間に、お互いに流れた時間を感じた。それはしみじみと受け入れることのできるものだった。

 

さて、漫画を読む体力(気力)の話に戻ろう。

1年位前までは、お目当て以外のものも一気に読んでいた。漫画雑誌の値段は上がった。もとをとらなきゃと全部読んでいた。読めていたのだが、それが面倒になってきた。

読みたい話もそうでない話も、少なからず感情移入できていたのだけれど、なんだかもうどうでもいいや、勝手にやっていなさいという気持ちなのだ。かなり薄味の恋の味付けも、胸やけがする。これも加齢性変化なのか、ホルモンバランスの変化なのか、何かが閾値に達したのか、もしくは悟りの境地に至ったのか等と思ったりしている。

 

(今回は私の漫画愛を書きたかったわけでばないのです。次に続きます。)