新学期が始まり、学生さんの胸部X線写真の読影に追われている。

若いから何もないだろうと思って見てはいけないが、押さえるべきポイントは大人の健診よりは少ないので、さほど時間はかからない。

かからないはずだが・・・。

画像を見ている時間より、名前のチェックをする時間が長くなるときがある。たまにはメモもとる。

そう、この時期はお名前鑑賞会なのだ。

 

古き佳き名前。

安心感がある。よしよし、そのまますくすくと成長してくれたまえ。そして我々の老後の年金をよろしくね。

 

いくつかの漢字で、親の願いや、その子の産まれたときの情景が浮かぶ名前。名前の由来を想像するこちらも、誕生を祝いたい優しい気持ちになる。それから、響きの美しさを伴うこともある。こんな日本の文化は素晴らしいなあと思う。

 

ん?これはなんと読む?

ほう、と感心したり、「どうしたってそうは読めんだろう」とつっこんだり。

自由な感性というのか、発想が軽やかというのかオツムが軽やかというのか。こんな文化はミラクルだと思う。

 

武将のような名前もいる。勇ましいね、たくましく育ってねと胸部写真に語りかける一方で、この子の父親は北九州メディアドーム(成人式の会場)を金色の羽織袴に金髪リーゼントで闊歩していたんじゃないかしらんと妄想する。

 

少し前には、平仮名のくだものシリーズで「このクラスだけでフルーツポンチができるじゃないか」と天を仰いだことがあった。響きで選んだ、我が子可愛さの名前なのだろうが、しわしわのお婆さんになったときのことは考えたのだろうか。この子達の祖父母は異議をとなえなかったのだろうか。親の顔も見たいが、祖父母の顔も見たいと思う。

 

今年の暫定1位。実際に書くと個人情報になるので(でもなんとなくわかってしまうと思うが)控えるが、動物の漢字、読み方は英語の子がいた。フリガナが少々独特だ。このこだわりから推察すると、親御さんはこの名前をこの読み方でつけたくてつけたくてたまらなかったのだろう。

思わず彼の生年月日をメモする。(こういうことをしているから、仕事に時間がかかるのだ。)

生まれ年の干支とは一致しない。だからやっぱり、生まれる前から「これでいくぞ」と張り切っていたのだろう。

 

まあ、それぞれの思いがあって、それは自由なんだけどね。

彼はこれまで結構名前のことを話題にされただろうな。感嘆されたり、いじられたり。すぐに覚えてもらえるというメリットはあっただろう。社会人になったら、初対面の人には「おっ!」と驚かれ、話もはずむかもしれない。でも仕事ができなかった場合、陰で呼び捨てにされ、笑われるだろう。上司の立場になった場合には部下に何かのはずみに馬鹿にされそうな気がする。名前によって得る損得の振れ幅がとても大きい。

私だったら、君の名前のフリガナは最後の文字をあえて省くよ。そうしたらキリッとした響きになるんだけどな。

 

まあ、おばさんの勝手な思いです。名前に負けない立派な大人になってください。

 

そう思いながらも、この国の未来は大丈夫なんだろうかと不安になるのである。


ぐずぐずしないで、次の写真を読まなくちゃ。

さて、お名前は?