先日、近年は恒例化(?)しつつある地元の中学校1年生対象に『職業人講話』の講師をさせて頂きました。


 進路学習の一環として、私たちのように実社会で働く職業人の思い・生き方・生きがい・喜び・苦労等々を聞くことはきっと将来に役に立つのではないでしょうか! 何か少しでも生徒さんたちの心に残るものを伝えることができればいいなぁ.....という思いでいつも学校からの要請があれば参上しています。 (笑)


自己紹介の後に私の最近の仕事(新築・店舗・ビフォー→アフター)をプロジェクターで紹介してから、大工さんの技、木と地球の話をしました。





我が娘、息子が通い......私もPTA活動をさせて頂いた”母校”はいつ訪れても懐かしく愛おしく感じるものですね。






話の締めくくりに孫さんのお話を引用させてもらいました。

子供たちはどう感じ受け止めたのでしょうか!?

なぜ働くのか

やっと会社を立ち上げて、
年商30億円とか50億円とかになり始めて、
娘も生まれたばかりでした。

社員も一生懸命に仕事をしてくれる、
お客さんもやっと少し増え始めた。

その時に、難病のB型慢性肝炎を宣告されてしまったわけです。

会社を始めてすぐのころというのは、
大きい会社にしたい、
家も立派なものが欲しい、
車も格好いいのが欲しいと、
やはり若いなりの欲望がいっぱいありましたよ。

だけど、あと5年ぐらいで俺は死ぬのかと思った時には、
もう本当にどうしようか、と。

その時も病院を抜け出して、
ほとんど一日おきぐらいに会社に行っていたんです。

そうやって身を削り、命を削りながら、
なんで俺はこういうことをやっているのかと考えるわけです。

そうすると、やはり最後は自己満足のためにやっているんだな
本音で思いました。

人のためとか、会社のためというより、

結局、自分は自己満足のために命を削って働いている。

すると自己満足というのはなんだろう、と思うようになるんです。

究極の自己満足というものを考えると
もはや家とか車とか、
会社の利益とかいうようなことは、
ちょっと程度が低いなと思うようになりました。

究極の自己満足とは、結局、

人に喜んでもらうことじゃないか

人が心から喜んでくれて、
笑顔で「ありがとう」と言って感謝してくれたら、
それが一番の自己満足だなということを、
その時に心の底から思ったんです。

それは生きていてよかったいうことなんじゃないか。

残り何日生きられるかという状況の中で、
もし自分が本当に短い年月で死んでしまったとしても、
一人でも二人でも「ありがとう」と感謝してくれた人がいたら、
それがまさに生きがいというものだろうと感じたんです。

突き詰めて考えると究極の自己満足、それは、

誰かに喜んでもらう、ということ。

その手段のひとつが仕事。

仕事を通して、誰かを幸せにしたり笑顔にできたり、

喜ばせることができるなら、

やっぱり、仕事をがんばりたい。

その先には、多くの人が喜んでくれるのだから。

今日も、

ひとつでも多くの「ありがとう」がいただけるように

がんばろーーーーー

(孫正義)