子持ち様の記事を見るたびに不幸な分断だと思う。
私は双方の言い分が何となく理解できる。
なぜならば私は結婚から子供を授かるまで10年かかっている。
その間、育休する人や子供の送迎や急な病気で時間休を取る人のサポート側だった時代があるからである。
何故この人は当たり前のように簡単に休むんだろう?こっちはあなたの分をカバーして残業しないといけないんだよ…と当時DINKSだった私は不満を感じていた。
結婚10年目で子供を授かった時に、DINKS時代の不満が全て自分に返ってきたように思う。
育休明けの保育園では病気のオンパレードであり、ひと月のうち1週間も登園しなかった時もある。
発熱などでの保育園からの呼び出しはしょっちゅうだった。
一旦早退し子供を病院に連れて行き、夕方夫が帰宅したのち、子供をバトンタッチして、職場に戻り夜遅くまで仕事をした事もしばしばあった。
身体が大きくなり病気しなくなったと思えば、小学校ではイジメに合い、高校では不登校になりかけ、発達に問題がある事がわかる。
子供を持つまで決して理解し得ないことばかりだった。
良し悪しの問題ではないが人生において子供がいるかいないかの差は極めて大きい。
きょうだいや甥や姪も近くにいるために子育てについて少しは理解できていたと感じていた。
しかしながら、今思えばほぼ理解できて居なかったと言っていい。
子供は全ての意味において次世代を担う世の中の宝である。
その恩恵は親ばかりのものではない。
子供の有無に関わらず、いずれ子供世代に何らかの形で世話にならない人は誰一人として居ない。
特に若いうちは自分が年老いてからことは想像しにくいことだけど。
例えばだが、年老いてのち何らかの介護サービスを受ける、そのサービスを現場で提供するのは子供世代である。
そして子供を産み育てるにどんな苦労があって、どんなにお金がかかるのか。
これは実際にやってみないと理解は難しい。
自ら経験していないことは想像が難しい。
互いに自分が経験していない事や知らない事に対しては謙虚であること。
そして自らが経験していない物事への理解には限度がある事を自覚する必要があるように思う。
どんなに賢い人であっても自ら経験していない事は理解し得ない。
そして理解しているようで、その理解は案外狭かったりするものでもある。
子供の有無、既婚か未婚か、それだけではなく様々な立場の人が増えているのだと思う。
そうしたカテゴリーでの分断は不毛だし悲しい。
お互いに多様性を受け入れ少しずつ譲り合えるような世の中になって欲しいと思う。