ヒジュラ暦九年、アブー・バクル、巡礼を先導(19)
さらに神は、「進んで慈善のために施しをする信者をののしり、または自分の労力のほかに、施す物のない者をののしって、彼らに嘲笑を加える者がある。アッラーはその嘲笑を彼らに返される。彼らに対しては痛ましい懲罰があろう」(七九節)、と啓示された。惜しみなく喜捨をした信者とは、アルアジラーン氏族のアブドッ・ラハマーン・イブン・アウフと、アースィム・イブン・アディーユで、使徒が人々に喜捨するように促し、激励した結果であった。アブドッ・ラハマーンが立ち上がり、四千ディルハムを喜捨し、アースィムも立ち上がり、ナツメヤシの実を百ワサク〔一ワサクは、ラクダの積荷一頭分の作物の量〕を喜捨すると、偽善者らは二人を嘲笑して、「これは見せびらかしているだけだ」、と言った。自分にできる限りの喜捨をした信者は、ウナイフ氏族のアブー・アキールで、一杯の升に盛ったナツメヤシを喜捨した。彼らはアブー・アキールのことも嘲笑して、「神はアブー・アキールのけちな一杯がなければやっていけない」、と言った。
また神は、使徒が、防衛のため、熱暑の過酷な状況下でタブークへの任務を人々に命じたとき、偽善者たちが語ったことに言及して、「タブークの任務に際し、後方に留まった者は、アッラーの使徒の出発後、残留していることを喜び、生命と財産を捧げて、アッラーの道のために奮闘努力することを嫌って、言った。『この炎暑のさなかに出征するな』。言ってやるがいい。『地獄の火は、もっとも厳しい熱さなのだ』。彼らがもし悟るならば。 それで彼らを少し笑わせ、多く泣かせてやりなさい」(八一、八二節)から、「彼らの財産や子女に、心を奪われてはならない」(八五節)までを啓示された。