暗闇に沈む西洋(2)
ユスティニアヌス大帝(画像中央)は、プラトンの学林を閉鎖したとき、世俗の学者を国外に追放した。彼ら西洋の最後の愛知学者を受け入れ、保護したのが、ササン朝ペルシャの啓蒙君主、ホスロー一世(アヌーシルワーン)だった。彼は愛知学者のために、首都クテスィフォンに自然科学、医学、哲学ほか、諸学の研究機関、すなわち「知恵の館」を建設した。
迫害、追放されたのは、世俗の学者だけではない。カトリック教会の三位一体を信じない諸教会の信徒たちも、信仰の自由を求めて、シリア、イラクを含むペルシャ帝国領に逃れた。彼らは、世俗の学問を理解するがゆえに、異端と宣告されたキリスト教徒だった。そして、破壊を免れた図書館、非カトリック教会の修道院、文芸愛好家の個人的蔵書のなかに、世俗の書籍、文献が残されていたと考えられる。
そしてもし、キリスト教よりも純粋な一神教のイスラームが、カトリック教会のように非寛容な態度を、異教徒と世俗の学問に向けていたら、それを考えるのも恐ろしいことである。人類はギリシャ文明を復興させるのに、さらに千年の歳月を浪費しなければならなかったかもしれない。