第Ⅱ章 特使の運命(11)

 困難と危険が人心を混乱させるとき、考え方の異なる多数の人びとが共通の結論に達することは、歴史によくあることだ。この件に関して、政府と代行者の間で交わされた公電の完全な記録は未だ公表されていない。青書は隠蔽しているような慎重さを保っている。しかしそもそもの始まりからエブリン・ベアリング卿が、ゴードン将軍の任命に強硬に反対していたことが知られている。二人の間に個人的な友情は皆無、管財人(エブリン・ベアリング卿)は、常に不安、無分別、騒乱と同一視されていた男の、熱病のようなエジプト政治の混乱が繰り返されることを極度に恐れていた。しかし彼は圧力に逆らうことができなかった。ヌバール・パシャ、外務省、英国民、誰もが将軍の任命を支持して騒ぎ立てていた。ベアリングが譲歩を拒否したとしても、却下されたであろう。彼はついに妥協、彼の承認が取り付けられると政府は歓喜してゴードンを呼んだ。一月十七日、ウルズリー公はイングランドに来るよう将軍に要請した。十八日、彼は内閣と会見した。その夜、彼は再び帰ることのない長い旅に出発した。