キリスト教の興隆(3)
モンテスキューは、抑圧された宗教が自ら抑圧的になるというのは一つの原理である、と言う。またギボンは、テオドシウス治世下で異教崇拝が滅亡したことは、古代からの民俗信仰が完全に根絶された、古今東西を通じての唯一の実例かもしれない、とする。教会の勝利は、空前絶後のことだった。それだけに指導者たちは、敵が存在し続けることに、焦燥を禁じ得なかった。彼らは未曾有の勝利を不動、不滅のものにしようと希求した。
モンテスキューによれば、君主のタイプには、宗教を愛し畏れる君主、宗教を恐れ憎む君主、宗教をもたない君主、の三通りある。テオドシウスは、宗教を愛し畏れる君主だった。帝は、慈父のごとく敬愛するミラノ大司教聖アンブロシウスの要請であれば、なんでも受け入れた。彼は教会に納税の義務を免除し、司教に属州総督と同等の世俗的権力を与えた。こうして教会は、四世紀末までに、その特権的な地位により、政治的に強力で、経済的に富裕な帝国最強の圧力団体に発展した。
いやしくも大司教たる身、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」、という教えに背くことはできない。これがすなわち、世俗の国家は聖なる教会に従属する、という西洋世界をつい最近まで支配してきた根本的な原理、原則である。大司教は、国家の政治はすべからく神の栄光、唯一の真正なる宗教の利益に反してはならない、との不屈の信念に基づいて行動した。彼は聖職者というよりも、政治家として、帝国内の公共問題、政治論争、宗教紛争すべてに介入した。