艦砲射撃で破壊されたアレクサンドリア市街
たった一人で歴史と世界を変える力(13)
一八七五年、三百二十五万ポンドの利払いが不能となりそうな危機が訪れた。その時点で担保となっていない王朝資産は、時価三百五十万ポンドと推定されるスエズ運河会社の保有株しかなかった。女王陛下の政府は、王朝持株を四百万ポンドで買収すると提案、エジプトは受け入れた。スエズ運河は英仏の共同所有となった。次に危機が訪れれば、もはや担保とする資産は何も残っていない。翌年、王朝は破産した。
フランスはすでに一八三〇年、アルジェリアを植民地としていた。イギリスにエジプトを譲る代償として、今度はチュニジアを保護下に置いた。トルコ領アラビア語圏の分割支配、つまりサイクス・ピコ協定は、何度も繰り返されていたのだ。
大英帝国こそ「近代中東の父」、「現代世界で最も紛争の絶えない地域を生み出した」張本人であり、「その責任をコップ一杯の火薬のようにアメリカに引き渡したのだ」。