王冠に置かれた宝石(3)

ローマ人が来たころ、古代王朝の王侯貴族の墳墓はすでに盗掘された跡を残すだけだった。

それでも西洋人はエジプトの文物の獲得に血眼になった。コンスタンチヌス大帝(在位紀元後三〇六―三三七年)は、略奪でも偉大である。

ルクソールの反対側、ナイル西岸のテーベにトトメス三世が紀元前十五世紀、建設した二つの巨大オベリスクをローマに移設しようとした。

一つは現代でもローマのキルクス・マクシムス大競技場に立っている。

もう一つは長い間、アレクサンドリアの海岸に放置された。

これを三九〇年、帝国の新首都コンスタンチノープルのハジアソフィア寺院近くの大競技場に移設したのが、テオドシウス大帝(三七九―三九五年)だった。


キルクス・マクシムス大競技場。

アラジン3世のバイトルヒクマ(知恵の館)-ローマの競技場