三か月前に
岐阜のお墓に行ったら
湯呑がなかった。
「落ちて割れたのかな」そう思った。
二か月前、
湯呑を買っていくのを忘れた。
お墓にもまだ湯呑はなかった。
一か月前、
忘れずに湯呑を持って行って
お水をお供え。
そして先日、
お墓に二つの湯呑が!
私は怒って娘に言う。
「これは義妹の嫌がらせ!」
娘は私に言う。
「そうじゃなくて、ただむこうはお母さんが
持ってきたのを使いたくないだけ。
そういう人達なの!」
・・・・・・・
私からみれば
争いの象徴にしか見えない二つの湯呑を
そのままにしておくのは堪えられないので
自分が買ったのは
持って帰りました。
顔を合わせなくても
こういう不快な目に合うのは
とても心外。
私がもっと心を広く持たなくては
いけないのか?
