王子と同じ道の52名の菩薩が座席から立ち上がって

仏陀の足元に頭を下げて

仏陀に言いました:

過去に数え切れないほどの劫の間に世界に

現れた仏陀がいたことを思い出して、

その名前は無量光仏。

十二名の如来が同じ劫に連続に現れた時、

最後の仏陀は超日月光仏と呼ばれていました。

彼から念仏という不思議な法門を教えていただきました。

たとえば、

覚えるのが得意な人もいれば、

忘れるのが得意な人もいます。

この2人は、

会えるかできないかにかかわらず、

お互いを思念がある限り、思念の力が深くなっていくのです。

影のように互いに切り離せない状態を保つことができ、

彼らの間に抵抗し、分離させるものは発生しません。

十方如来の衆生への思いやりは、

母親が子供を思い出しているようなものです。

子供が逃げて消えた場合、

この記憶の用途は何ですか?

もし母親が子供を恋しく思うように、

子供が母親を覚えている場合、

2つの記憶は深く、

母親と子供は一生離れることはありません。

 

衆生が仏陀を覚えていれば、

一緒に仏陀を見ることができるので、

仏陀から遠く離れることなく、

都合なく自然に心を開くことができます。

まるでお香の染めを専門とする職人が、

体からは香りがあふれているのように

違いがありません。

これを神聖な厳粛さといいます。

私の修行は

仏陀の思念の心で不生忍の実現に

基づいています。

今、私はこのサンポーの世界にいますが、

仏の思念を受け取ることができるすべての衆生は、

すべて仏王国の浄土に生かせることができます。

仏陀はどちらの方法が最も巧妙であるかを尋ねました。

私の修業によると、

私は6根すべてをまとめる私の心と考えは互いに続き、

調和は賢明な心に戻り、

分離から切り離され

純粋に仏陀を唱えることしかありませんでした。

そのようにサマーディを達成することができる、

最高の悟りに至ることができます。

私はこれが第一法門であるべきだと思います。