如来は阿難と大衆に言った:

なぜあなたはあなたが言ったことと矛盾しているのですか?

阿難と大衆の両方がすぐに尋ねました:

私たちはどのように自分自身と矛盾するのですか?

 

如来はこう言いました;

あなた立ちに聞こえるかと聞いたら 聞こえたと答える、

声を聞かれると声を答える、

答える間、聞こえることと音を混同してしまうのですが、

矛盾しないなら、何ですか?

 

阿難、音がなくなったら音が出ない、

聞こえないと言えます

本当に聞こえないと聴力が絶滅し、

死者のように無知になります木。

鐘が再び鳴ったとき、

なぜあなたはそれをもう一度聞いたと言ったのですか?

 

音も無声も音塵から来ることをご存知だと思いますが、

聞こえることもあれば、

聞こえないこともあります。

聞こえる能力があるか無しかではない

あなたは沈黙を聞いたことがありますが、

聞いていなかったと言いますよね?

本当に聞こえないのは何ですか?

 

したがって、

音自体は生滅があるのは、

聴覚にある場合とない場合があるためではないです。

あなたはまだ逆さまになっていて、

音を聴覚と誤解しています。

混乱するのも不思議ではありません。

常住の真の心を断滅の心と誤解しています。

いけませよ。