前回に続き、溝口肇さんのコンサートで感じたこと。

 

ステージ上には3人の演奏家。

1人は、著名なアーティストのライブにも帯同するピアニスト。もう1人も、人気アーティストのライブやスタジオでも引っ張りだこというギタリスト。そして、作曲家で演奏家のチェリスト溝口さん。

 

この日のコンサートも、溝口さんのチェロの音色を、2人の異なる楽器のサポートによって、より深みを引き出していた。

 

溝口さんは、チェロ演奏家として活動を始めた時から、「作曲もするチェリスト」として活動することを決めていたという。

 

当時は、チェロで飯を食うということは、クラシックなどの楽曲を弾く演奏家になるというのが常識で、自分で曲を創作して演奏するチェリストというのは珍しかったらしい。

 

「演奏家であり、作曲家でもあるチェリスト」

 

溝口さんが、自身の肩書をそう決めた時、彼のその後のアーティスト人生としての幅が大きく広がった。

 

小さい頃から楽器を演奏し、課題曲に対してオリジナリティを表現することで職業とする。

演奏家として飯を食っている人が、当たり前のように歩む道。

 

溝口さんがもし、自分の肩書きを「作曲もする演奏家」とすると決意する瞬間がなかったら……。

 

もしかすると、彼は今、自身のバックで演奏するピアニストやギタリストのポジションだったかもしれない。

 

もちろん「それがいい」という人もいるだろう。

でも、社会に出る時、「肩書きは自分で決める」という分岐点を明確に意識するかどうかは、とても大切なことだと思う。

 

きっと、プロの演奏家になれるくらい才能に恵まれた人なら、努力の先に「作曲で飯を食う」ようになることは無理難題なことではないだろう。

 

きっと、ステージ上のピアニストもギタリストも、自分で曲を作ってもいるだろう。

 

ステージ上の3人の演奏は最高に素晴らしかった。

 

でも、この会場を埋める客は溝口さんの演奏をお金を払って鑑賞に来た人で、他の2人の演奏は(失礼ながら)あくまでおまけだ。

 

ピアニストもギタリストも、腕は本物だ。

だからこそ「自分で肩書きを決める」ことの大切さを感じた時間だった。