養老孟司さんというキーワードに惹かれて、

「日本人が立ち返る場所」の一部を抜粋・編集された記事を読んでいました。

 

校則の話やゴッドファーザーの話と、

何のこっちゃっと思っていたら、

途中から妙に腑におちる内容が出てきた。

 

メッセージで大事なのは 「内容」よりも「宛先」というお話。

 

出エジプト記の核心は、

モーセは主のメッセージの「内容」は理解できなかったけれど、

それが「自分宛て」だということは直感的にわかったこと。らしい。

 

メッセージにおいて重要なのは、

「内容」よりも「宛先」。

内容は、わからなくてもだんだんわかるようになる。

でも、「宛先」がわからないと何も始まらない。

 

自分がこのメッセージの「宛先」だと信じた(自覚した)ものがメッセージを受け取る。

「宛先が自分だと考える」ことが非言語的なレベルから、

言語的なレベルに「ジャンプ」することの始点。

 

「なるほどいいことを言っている、自分も同じ意見だ。

だから、この人の言っていることを探究、理解、参考にしよう」じゃなくて、

「この人、何を言っているか全くわからない。

しかし私は想定読者に含まれている」という感覚。

 

この「想定読者として含まれている」感覚。

「自分はこの本(ブログ、言葉、文章など)に呼ばれた」という実感。

 

皮膚触覚(直感?)的なものを大事にしたいと思いました。

 

 

メッセージを受け取ることはもちろんですが、

読み進めないとダメだなと。

 

軽く読み流しているな。

深く読み込んでないな。と、

この記事を読んで妙に納得しました。

 

 

何度も同じメッセージが来たら、

残念ながら、

想定読者です。

腹を括りましょう。

 

 

そのメッセージは、

自分宛てのメッセージです。