その頃は若くてまだまだ世間知らずで。
そんな時にあーそういうものなんだなと思ったことがいくつかあって、
その中の一つがお給料の
金額こと。
同じビルにいた日本語のとても上手なハンサムな若いアメリカ人。
とても感じの良い方で人気者でした。
彼は自社だけでなく、同じビルの日本人とも仲良くしていて
なんら不満が無いように見えました。
勿論仕事にも。
そんな彼が別の会社に行くことになり、
理由は一つ。
お給料の額が多い方を選んだということ。
それだけの価値があると評価してくれたんだということになるようです。
そして、もっと評価してくれる所があれば、またそっちに行くよと言うのでした。
そうして、自分をどんどん高めていくのが当たり前ということで。
義理人情なんて関係ないわけです。
外資系企業に勤めた先輩が就職して体調不良になり、
給料は確かに良いけれど、仕事はきついし、それは別にどうってことないのだけれど、
何より考え方のギャップが大きくてと言っていたことを思い出します。
給料の金額=評価という図式だけで行くと、小さい会社ではとても太刀打ちできないわけです。
どんなに高い評価をしていても、金額を出せなくては気持ちは伝わらない訳で。![]()
いつしか日本にもこういう能力至上主義の人事考課の考え方が何よりという流れになってきて。
能力があれば、いくらでも高給取りになれる。
能力がなくなったらもういらないよ的な。
今
高給が取れればそれでいい。![]()
後のことは知らない。![]()
愛社精神などなく、自分が高く評価され、豊な生活ができればそれでいい。![]()
だから、アメリカのあの・・・えー・・・まさか・・相次ぐまさかがあったのだと思います。
ちょっと前、日本でも若い経営者がうちは能力ある人間しかいらないから。
いらなくなったら、首だから
というようなことを公言していて、
それを若い方々の中にはかっこいい
と感じ、そういう企業にあこがれる方もおられました。
能力を評価してくれると言う点ででしょうが、その裏にある危うさも見ないといけないとずっと思っていました。
企業が社会の中で果たす役割、人が企業の中で果たす役割。
自分さえ良ければ的なことはいずれ破たんすると思います。
お金に
目を奪われてしまうと、視野が狭くなってしまうという法則
がそこにはあると感じます。