超長いけど、講演原稿がコレです | 不登校サークル『いばしょクラブ』のブログ

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先日の横浜イベントで講演をさせていただきました^^;



超緊張!


マイクを持つ手がブルブルと震えながらも、


何とか読み終えることができたのも


応援してくださっているみなさんのおかげです♪




つたない文章ですが


一生懸命書いた原稿ですので


載せらせていただきますね(^▽^;)



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普通の主婦の私が、娘の不登校をきっかけに、今こうして皆さんの前でお話しさせていただく機会を持つことになるなんて、ほんの数年前には考えもしませんでした。


今日は不登校になってしまった娘の事、そしてその不登校がきっかけで「いばしょクラブ」通称「いばクラ」という不登校サークルを作った事などをお話しさせていただこうと思っています。


なにぶん講演なんて初めてのことですので、うまく喋れるかはわかりませんが、どうぞ宜しく願いいたします。



娘が学校に行かなくなったのは、中学2年の夏休み明けからでした。


夏休み前からクラスの友だちと揉めているのは聞いていました。

娘は割と目立つグループに入っていたようなんですが、その中の一人の子が仲間外れになって、娘はその子を気の毒に思って一緒にそのグループを抜けたそうなんです。


すると娘までがそのグループの子たちから目を付けられはじめたらしいんです。

やり口は巧妙で、傍からみたら大きなイジメには見えなかったと思います。


例えば、近くを通る時に「むかつく」と呟かれたり、遠くでわざとひそひそ話をされたり。

そんなことを暫くされていたそうです。



そんな中で夏休みになりました。


夏休み中は、一緒にグループを抜けた子とよく遊んでいたんでが、今度はその子と喧嘩をしてしまったんです。するとその子は元いたグループに戻って、グループの子全員を味方につけてしまいました。


だから娘としては、もう敵だらけで、怖くて学校には行けないと言うんです。



でも長い夏休みの間に何とか関係が修復するんじゃないか、そう思いたくて、私は夏休みの間は何も考えないようにしていました。


娘も特に変わった様子もなく、他の子と遊んだりしていたので、私の心配も徐々に薄れて、まあ、きっと大丈夫だろうと思いました。



そして夏休み最後の日の夜に「明日、ちゃんと学校に行きなよ」と声をかけたら、娘は普通に「うん」と言ったので、もうホッとして、主人とも「大丈夫みたいだね」なんて話していたんです。


そして始業式の日。

朝普通に娘を起こして、私はいつも通りにしていた方がいいだろうと思ってあえて何も言わずにいつも通りにご飯を作って食べさせて。

私はその日、3歳上に息子がいまして、その息子の高校の役員をしていたものですからその役員会があったんです。なのでその準備をしたりして・・・。とにかく普通に、普通にってしていました。


娘もご飯を食べたら制服を着て、支度をして、いつもの時間に「行ってきます」と言って出かけて行ったんです。

もう本当にホッとして、嬉しくて友だちにメールまで送ったりして。



でも、その日が私には一生忘れられない日になってしまったんです。



息子の高校の役員会は午前中で終わる予定だったので、もし都合があえば夕方にでも娘の事をスクールカウンセラーさんに相談してみようと思い立ちました。


それで、朝一に中学校に電話をしたら、ちょうど夕方に予約を入れることができたんです。


今まで相談なんかしたことはなかったんですが、学校に行ったとはいえ娘のことがとても気になっていましたし、ちょうど時間も空いているし、この際いろいろと相談してみようと思いました。



そろそろ出かけようかという時に、娘の中学校から電話が入りました。


娘の担任からでした。


「今日カウンセリングを入れられたようですが、何かありましたか?」と気遣って電話をくれたので、「夏休み前から娘が学校に行きたくないって言っていたので、相談しようと思って」と言うと、「あ、そんな事があったんですか。それで今日もお休みなんですね」と言われたんです。


もうびっくりしました。

普通に家を出たはずの娘が学校に行っていないなんて、今までそんな事は一度もなかったんです。


担任に「普通に出て行きましたけど・・・」と言いながらも心臓がどきどきして、心配で心配で、どうしていいかわからないっていうのはこういう事なんだと思いました。



私はとにかく娘がいなくなったことがショックで、ものすごく不安でした。


訳が分からないまま娘の部屋を覗いてみました。

もしかしたら部屋にいるかも・・・なんて一瞬淡い期待を持ったんですが、勿論いませんでした。


でも、携帯とお財布がないのに気づいたんです。


学校には当然携帯もお金も持って行ってはいけないので、それは娘には守らせていました。

なのにそれがないんです。


ああ、最初から学校に行くつもりはなかったんだ、とその時気づきました。


でも、携帯を持っているのなら連絡がとれる、そう思ってすぐに電話をしました。

でも、何度電話をしても、娘は出ないんです。



その日は夏の暑い日でした。

こんな炎天下の下で外をうろうろしていたら倒れてしまうんじゃないか、そう思ったらいてもたってもいられずに、すぐに娘に飲ませてあげられるようにと自動販売機で冷たい水を買って電話をかけ続け、メールを送り続けながら、近所をあてもなく探しました。



そんな時、娘からメールがありました。

「学校には行きたくない。友だちに相談したいから○○ちゃんに会いにいってくる」というような内容でした。


そしてまた連絡が途絶えました。



その○○ちゃんというのはちょっと離れたところの子で、不登校の子でした。

私は会った事もなければ苗字も知りません。

友だちの友だちの友だち・・・っていうぐらいの知り合いで、夏休み中に仲良くなったようで、その時に名前がよく出ていた子です。


その子の家は歩いて行けるところではないのは娘から聞いていました。なので娘は電車で行くはずです。

今度は「そんなお金あるのかしら」とさらに心配になりました。



とりあえず、友だちに話を聞いてもらって落ち着いたら、夕方か、夜かには娘は帰ってくるだろうと思いました。



でも結局、夜になっても娘は帰って来なかったんです。



どうしていいかわからないまま仕事から帰って来た主人と二人であてもなく車を走らせながら、ありとあらゆる手を尽くして夜中に何とか娘を探し出すことができました。


今となっては主人と笑うのですが、あのときは本当に探偵みたいだったよね、と言うぐらい、小さな手がかりからその○○ちゃんの電話番号まで辿り着いて、最終的に娘を発見して。

本当に親の執念でした。



そして、その夜から娘との闘いが始まったんです。


「何で家出なんかしたの!」

「どれだ心配したと思ってるのよ!」


当然、私も主人も娘に対して叱りました。


「学校はどうするの?」

「昨日は行くって言ったじゃない!」


娘を責め続けました。


家出をするほど苦しんでいた娘の気持ちなんて、全く考えようとしなかったんです。



でも娘は何も言いませんでした。


笑いもしない、泣きもしない、怒りもしない。

能面みたいに全く表情のない顔をして下を見つめているんです。


それを見て益々私は腹が立って、もう叱るというよりも怒りをぶつけていました。


すると娘は無言のまま腕や足の皮膚を掻きむしりだしたんです。

どんどん真っ赤になっていって、みみずばれのような跡があちこちに残りました。


それを見て、今まで以上にカーッとなって「そんな事しないの!!」と怒鳴りつけていました。


それでも娘はやめません。


掻きむしる娘の手を止めようとすると、今まで一言も何も言わなかった娘が「触らないでよ!」と私の手を思い切り振り払ったんです。

その瞬間「ああ、私は拒絶されたんだ」と思いました。


とてもショックでした。


「じゃあもういい!」と捨て台詞を言いながら、娘の部屋を出て行くと、それまでの会話を聞いていた主人が今度は娘の部屋に入って行って、私と同じことを始めていました。

主人も自分の感情を娘にぶつけたかったんだと思います。



こうやって今考えると、家出したその日の夜中に、こんな風に次から次へと親に責められたら、神経が参ってしまうでしょう。

でも、その時にはそうすることしか頭にありませんでした。


次の日のもまた学校があるんです。その学校に「何とか行かせなくちゃ」「娘の気持ちを変えなくちゃ」それしか考えられませんでした。



でも結局、娘は学校には行かなくなりました。



何度娘と話をしても「もうこのままずつと家にいるからいい」「自分なんてどうなってもいい」と能面のような顔で答えました。

そして答えながら腕や足を掻きむしりました。

それを止めようとすると私の手を払いのけました。


毎日がその繰り返しです。


当たり前ですよね。娘の気持ちを全く分かろうとしていない私たち家族。信頼関係が完全に崩れていました。

それでは幾ら娘に何を言っても、娘の心には全く届きません。

私だって信頼できない相手に何を言われても、言うことを聞く気にはなれないでしょう。


それなのに、私は言うことを聞かない娘に怒りをぶつけ、娘はどんどん心を閉ざし、それを見て主人が怒り、怒っている主人に私がキレる。


もう負のスパイラルです。


ついこの前までは家族で笑って暮らしていたのに、今は笑うどころか怒鳴りあいの毎日。

仕事をしていても家にいる娘が心配だし、何よりこれから先、自分たちはどうなるのかと不安で不安で仕方がありませんでした。



それまで、不登校については「誰々さん家の子が学校に行っていないんだって」なんて噂話は聞いたことがありました。

「親は何で無理してでも学校に連れて行かないのかしらね」なんて言う人がいたら、私も「ホントそうだよな。子どもを甘やかしているからダメなんだ」なんて思っていました。


でも、実際に自分の娘が不登校になってみて、「行かせたくても行かせられないんだ」ということがわかりました。

そして、子どもを甘やかしているように見えたのは、そのご家庭が必死で「いい親子関係を作ろうと努力されている姿だったのだ」と気づきました。




中学に行かなければ高校には行けない。

高校に行かなければ就職ができない。

就職ができなければ将来どうやって生活していくのか。

もしかしたら結婚にさえ響くかもしれない。


そな風に思って、考えれば考えるほど娘の将来は真っ暗なものでした。


そして何より、私の頭の中にあったのは、「世間体」でした。

近所の人の目、同級生のお母さんの目、そして私の友人の目。




我が家は二世帯住宅なんです。私の両親が一階に住んでいて、すべて生活は別々とはいえ孫が不登校になれば気づかないはずはありません。

私の両親は古い人間ですから、学校に行かないなんて考えられないことなんです。

案の定、両親から私が責められました。


その都度「行かせたいけど本人が行かないのを一体どうやって行かせればいいのよ!」と喧嘩になりました。


もう、あっちでもこっちでも喧嘩です。



家に引きこもっていた娘ですが、学校に行かなくなったおかげで少し心が元気になったようでした。

その後、私が見つけてきたフリースクールに通ったり、そこでできた友だちと遊びに出掛けるようになったりと、どんどん外に出るようになりました。笑顔も増えてきました。


でも、それに伴って外見も随分派手になりました。


きっとそれは、自分を強く見せるための鎧みたいなものなんだと思います。

お化粧をして、つけまつ毛をつけ、髪の毛も染めて、派手な服装で・・・。


最初はあまりにも見た目が変わってしまい、自分の子じゃないような感覚でした。

でも娘はとても楽しそうに遊びに出かけて行くんです。

私も「学校に行かなくても、こうして元気でいてくれるならいい」と思えるようになりました。

こんな格好の子が昼間から遊びに゛かけるんですから、絶対に近所の人は陰で何か言っていることでしょう。

でも、それが気にならなくなるぐらい、娘が元気でいてくれる、笑顔で「今日は誰々ちゃんと遊んだ」なんて話してくれる方が大事でした。



私が「元気でいてくれるならそれでいい」と思えるようになったのには、実はきっかけがありました。


娘が学校に行かなくなった年の冬に、近所に住む私の友だちの息子さんが自殺されたんです」


その息子さんは、不登校でもないし24歳の立派な社会人でした。

でも彼は、子どもの頃から行き辛さを感じている子で、いつも物静かで穏やかな子でした。


高校の卒業アルバムですが、届いたその日にビリビリに破かれていたそうです。

「今になってみると高校も全然楽しくなかったんだろうな・・・」と友だちは言っていました。


亡くなった次の日、すぐにお焼香に伺ったんですが、息子さんのご遺体を前に「ホント馬鹿な子だよね。要領が悪くてさ・・・」って、友だちは涙を流しながら言っていました。


後から彼の友だちから聞いたそうですが、ツイッターで「辛い」とか「シンドイ」とかずっと呟いていたそうです。親には言えない辛さをずっと一人で抱えていたのだと思います。



友だちは息子を亡くしてどんなにか辛いはずなのに、私に「学校なんか行かなくてもいいんだよ。うちの息子みたいに親よりも先に死ぬのは絶対にダメ」と言って励ましてくれます。


私、考えさせられました。


学校に行って、卒業して、就職して・・・それでも毎日をすごく辛く生きている人もいるんですよね。

それじゃあ、何で私は娘に「学校に行け」って言っているんだろうか。



そりゃ行かないよりは行った方がいいと思います。

知識を得るのは大事な事だし、人間関係を学ぶ事もできます。

でも、学校に行かないからって「携帯をとりあげる」とか「お小遣いなし」とか「家にいるなら家事を全部やれ」とか、そうやって罰を与えるのはおかしいんじゃないかと思うようになったんです。



亡くなった友だちの息子さんのことがいつも心の奥にあります。


彼のように、学校に行っていても自分の気持ちを表に出せないで最後には死を選んでしまうよりも、娘の生き方を受け入れてあげることで、家庭の中に娘の心の居場所を作ってあげたいと思いました。



そして、今度は私は娘とではなく、主人、そして両親と闘うことになりました。


毎日毎日娘の不登校を理解してもらおうと話をしました。

でもそう簡単に、今までの自分の常識を変えてくれるはずはありませんでした。

「行くのはあたりまえ」「将来どうするんだ」「甘やかすな」

もう言われることは同じです。


私は本気で娘を連れて家を出ようと思いました。

息子には申し訳ないけれど、とにかく一度娘と二人で家を出たほうがみんなのためなんじゃないかと思いました。

なので、事あるごとに「そんなに認めてくれないなら出て行くけどいいの?」と主人や両親を半ば脅していました。


そんなことをしていたら、だんだんと主人も両親も口を出さなくなってきたんです。

もちろん心の中ではいっぱい言いたいことはあったと思います。でもとりあえず何も言わないでいてくれるようになったんです。

恐らく、娘のことよりも私が追いつめられていることを分かってくれたんだと思います。



そんな時、私はインターネットで不登校のオフ会を知りました。

新宿でのランチ会ということで、ドキドキしながらも参加させてもらったんです。

すると、初めて会った人たちなのに、同じ不登校の話題で気軽に話せるんです。

一体感が生まれ、そして何よりまるで初対面じゃないような居心地のよさがありました。


その後も不登校のイベントに行ってみたら、オフ会以上にたさんの人たちが来ていて、「ああ、こんなに不登校で悩んでいる人がいるんだ」「私だけじゃないんだ」とものすごく心強くなりました。



それからもオフ会やイベントに参加していくうちに、顔見知りができて、仲良くなっていって、ブログでも繋がっていって・・・。



私、なんだかそんな毎日が楽しくなってきたんです。

またみんなで会いたいな、なんて思ったりして。


それなら「親の会」みたいなものを作ったらどうかな、と思って、すぐに最初の新宿ランチ会で仲良くなったルカさんに声をかけました。


そしてできたのが「いばクラ」です。


親だけではなく不登校生や不登校経験者にも声をかけて、「親の会」ではなく「不登校サークル」として、とにかく私たちは一人じゃないんだ、みんなで繋がっていこう!という思いでオフ会としてランチ会などを開いています。


この横浜では二か月に一度定例会としてオフ会を開いていますし、東京都内や千葉、広島、兵庫、大阪、奈良、岐阜、新潟、石川でも「いばクラ」ではオフ会をしてきました。

全ての地域に私やルカさんが参加したわけではありませんが、どんどん広がっていく繋がりがとても嬉しいです。


初参加の方も「初対面じゃないみたい。前からの知り合いみたい」と言ってくださいます。その気持ちは、私か初めて参加した新宿のランチ会で感じた気持ちと全く同じです。



まだ「いばクラ」ができて一年経っていないのに、日本全国から会員登録があり、現在250名以上の会員数になっています。

世の中にはこんなにたくさんの不登校で悩んでいる人がいるんです。

ほら、ここにもこんなにたくさんの仲間がいます。

私たち、ずっと一人だと思って辛かったけれど、本当はこんなにたくさんの仲間がいるんですよ。心強いとおもいませんか?


親のタイプや子どもり性格は様々ですが、みんな同じように苦しみ、同じようにもがいています。

でも必ず子どもは自分から動き出す時が来ます。

大勢の仲間たちと支えあいながら、その日を楽しみに待ちませんか?



友だちとのいざこざを見て見ぬふりをしていたと、学校も先生も大嫌いだと言っていた娘ですが、中3の夏前ぐらいには自分から「高校に行きたい」と言うようになりました。

あんなに「学校にはいかない」「ずっと家にいる」と生きているのか死んでいるのか分からないような顔をしながら言っていた娘がです。


なので、私が以前にこのイベントで貰ってきていた通信制高校の資料をいくつか見せて、いろいろと仕組みを説明しました。


すると「ここが良い」「ここに行きたい」とある1つのサポート校を指さしました。


そして今年の4月から、娘はその通信制高校のサポート校に通っています。



娘がここまで変わったのは、私が娘を受け入れようと気持ちが変わってきたこともあるでしょうが、何よりも私の意識が「いばクラ」の活動のほうに向いて娘のことばかりを考えないうになったからのような気がします。

それまでは家族全員が心の中では娘を監視していたんです。

それは当然心配だからなんですが、誰だって四六時中自分に意識を向けられていたら息苦しくなりますよね。

それが薄らいできたおかげで、娘は自由に息ができるようになったのかもしれません。

今では娘の情緒も安定し、以前のように笑いのある家族に戻り、嬉しいことに「いばクラ」の活動も応援してくれています。



自分で選んだ高校に入学が決まった娘は「早く高校生になりたいな」と入学を楽しみにするようになりました。不登校でお先真っ暗だと思っていたのに、本当は娘だって学校には行きたかったんですよね。

私も早く中学校を卒業して、娘が希望する高校生生活を満喫させてあげたいと思いました。


もちろん「卒業式なんか出ないから」と娘は言っていましたので、フェードアウトするように静かに中学校生活が終わっていくものと思っていました。

でも土壇場になって「やっぱりみんなと一緒に卒業式に出たいな」と娘は言い出して、驚くことに自分から担任に電話をかけたんです。


なのに担任は「急に来させるわけにはいかない」と娘を拒みました。

娘はショックを受けて泣きながら私に電話してきたんです。


私もすごく悔しくて「ずっと学校に行けなかった娘が卒業式だけは出ようと意を決して電話を入れたのに、来るなというのはどういうことですか!」と抗議の電話をしました。

担任は「みんなは卒業式の練習をしているんだから、していない子は出せない」と言いました。でも校長とも話をして、校長の判断で許可が出ました。


その後校長から叱られたのか、担任から謝罪の電話や手紙が来ましたが、もう娘は「もう行かないからいい」と言うようになってしまいました。流石にこの時は、また元の死んだような娘に戻ってしまうかと思いました。


そんな様子を校長に話すと「卒業式のあとに第二部の卒業式をしますので、そちらに来てください」と誘ってくださいました。

第二部というのは、一部に出られなかった子どものための式です。


「少しでも出たいと思うなら絶対に出たほうがいいよ」と娘に言うと、娘は「みんなと式にでられるなら髪も黒くしようと思ったけど、このまま茶髪でピアスでもいいのであれば二部の卒業式に出る」と言いました。

流石にそれは無理じゃないかな、と思いつつも校長に確認をとると、そんな娘を受け入れてくれました。

なので、娘は制服は超ミニのスカートでノーネクタイ、髪は茶髪で耳と鼻にはピアスをして第二部の卒業式に行きました。


校長が校長室に迎え入れてくれて、校長室で第二部の卒業式をしていただきました。

殆どの先生が狭い校長室に集まってくださり、校長の話から卒業証書授与までほんの10分程度の式でしたが、私は行って良かったと思いました。


卒業証書を自分の手で受け取った娘の姿を見て、一つの区切りをちゃんと終わらせることができたととても感慨深く、校長の暖かい判断に感謝の気持ちでいっぱいでした。

2年の時の担任が涙を流しながら「何もしてあげられなくてごめんね」と娘の手をとって謝ってくれたのも嬉しかったです。娘もあの先生は好きだったんだ、と後で言っていました。



そんないろんな事があった中学時代ですが、今、娘は自分で決めた道を進み始めています。

でも実は、サポート校にはまだ毎日は通えてはいないんです。週の半分ぐらいでしょうか。


それでも私は大満足。

あれほど行かない、行きたくない、って言って人生を投げていた娘が、自分で決めた学校に自分の意志で行っているんですから。



今、私も主人も学校にいくことが当然だとは思っていません。

私の両親はまだそういう思いがあるかと思いますが、私も主人も「自分で決めた道を自分の足で歩く力があるかどうかが大切だ」と思うようになりました。

不登校になったら人生終わりのように思っていましたが、全くそんなことはないんです。

高校に行きたければ受け入れてくれる学校はあります。

要は「生きて行く力」です。



不登校の子は、ほとんどの子がギスギスした人間関係に疑問を持ちながらも学校に行っているという現状を「おかしい」と感じられる素晴らしい子たちです。

社会がどうだからとか、常識がどうだからではなくて、自分の考えで、自分の思うように生きて行く力があると私は思います。


ここにいる不登校生、そして経験者、そして今家で待っている私たちの子どもたちは、みんな不器用だけど心が綺麗でこの世の中で生きていくのはちょっと大変な子たち。

でも、毎日精一杯生きているみなさんのお子さん一人一人が、私はとても愛おしいです。

顔も見たことはないお子さんですが、きっと不登校である以上、いっぱい心や体に傷を持っていることと思います。

でも私は、親も子も経験者も、みんなみんないつも笑顔でいてもらいたいと強く思います。



みなさんも、辛いとき、シンドイとき、すべてを捨ててどこかに行ってしまいたくなるときもあるかと思います。

そんな毎日を送っているのは、ここにいるみんな同じです。


ですから、ここにいる大勢の仲間たちとみんなで支えあって、乗り越えていきましょう。

一人じゃないんだっていう事をどうか感じていただきたいと思います。



本日は最後まで聞いていただきましてありがとうございました。



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長かったですねぇ~^^;

お疲れ様でした(笑)


ヘタクソな文章を読んでくださってありがとうございました(*^▽^*)



☆ひかる☆






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