ある人にとって異常なものは、自分の存在を揺るがすもの。
ゆえに人は異常を排除するか、異常を異常と感じないようにする。
俺は、異常を排除された結果、排除された異常を持つ人間がどうなったかを見た。
悲惨で、取り返しがつかない。自分が異常を排除した場合、自分が無情で非情で残酷な人間だと強制的に意識させられる。
自分の存在を揺るがす異常を排除した結果、逆に自分自身が存在していいのか考えさせられる。
それなら、自分自身の存在を揺るがす異常を排除するのではなく、異常を肯定するように意識するしかない。
俺はこの異常を肯定する試みが多くの場面でなされていないと感じている。
異常に気づいたら排除しようとしたり、異常に気づかないふりをして曖昧なままにする。
そもそも異常に気づかない人も多くいる。
なぜだ。
自分自身の存在が揺らいでいる状態でいてなぜ平気なのか。
俺の憶測でしかないが、俺は以下のように思う。
現代に生きる人の多くは、自分のファッション、所属する団体、交遊する友人など、自分を自分だと認識してくれるものを一番に考え、自分が自分を自分であると認識する必要がない状態に無意識にしている。
この考えが正解ではなくても、正解の一部であるならば、俺が自分自身の存在について今みたいに考えているのは、自分を自分と認識してくれるものが少なくなったからだと言える。
以上の意見は、今読んでる本の内容とかぶる。
けれど俺は以上のように考えているのだからこう書くしかない。
異常でありたいと願って生きてみて、排除されてしまっては生きられないじゃないか。
悔しいね。