細川家の内臣・三好長慶は京周辺を制圧し、足利将軍家を追放しますが、その政権としての正当性がなかったために各守護大名や周辺の豪族が従わず、4年で足利義輝に屈します。


三好長慶の死後は、松永久秀らを従えた織田信長に京を明け渡すことになります。


このころ地方では、例えば、厳島の戦いに毛利元就が勝利し、中国支配を固めています。



1568年、織田信長は、足利義昭を奉じて上洛しました。


信長は15代将軍・足利義昭の名を用いて各大名へ命令を出すようになり、いわゆる「天下人」に近づいていきます。京に入った彼は、堺、大津、山崎等の商業都市を直轄支配としました。



本願寺は、全国の一向一揆衆を動員して10年間にわたり抵抗しました。信長はこれら反対勢力を打ち破り、本能寺の変の1582年までに日本の中央部を手中にし、天下統一まであと一歩というところでした。



織田信長の後継者となった豊臣秀吉(当初は羽柴秀吉)は関白となり、惣無事令(1585年に出された大名間の私闘を禁じた法令)を出して、全国を統一、太閤検地、刀狩、身分統制令(1591年に発令された、侍、中間、小者らの武家・奉公人が百姓・町人になること、百姓が耕地を放棄して商人等になることなどを禁じたもので、これらに違反した場合は成敗するという法令、後の士農工商のもと)、貨幣の統一を行い、これまで各地さまざまであった日本のいろいろな基準を一つにまとめました。


秀吉の死後、徳川家康は、関ヶ原の戦いに勝ち、天下を掌握します。征夷大将軍となって江戸に幕府を開き、諸大名の配置換え・改易を行い、大阪夏の陣で豊臣氏を滅ぼして、その支配を盤石なものとしました。


一国一城令を出し、もはや戦国ではないという認識を徹底させます。そして、3代将軍・家光の死後、幕府の武断政治から文治政治への転換が確立します。

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各大名は信長派と反信長派に分かれます。足利義昭が暗躍し、毛利、武田、上杉、朝倉、三好らの大名と本願寺や比叡山等の宗教勢力を反信長派として結集させ、包囲網をひこうとしましたが、信長の兵農分離によって作られた機動部隊による各個撃破を受けて、それぞれ壊滅し、足利義昭は京を離れます(彼は備後の鞆(とも)に逃れ、「鞆の幕府」と呼ばれましたが、もはや実権は何もありませんでした)。