写真は記事と関係ありません。

今日は接種の話が続きますね。
最近、医師からの警鐘に出会います。
中には、「今まで信じてきた医療ってなんだったの」と
初心に目覚める方のメールも見ました。

人間の免疫システムという偉大な宇宙システムに対して、
人工物で操作しようなんて、ケチな計画に
ヤク中の人のように従うのはお好み?
(※ヤク中って...言い方もなんですけど)

考えても見たら、
ほんと、絵柄としては、
クスリ切れたらまた打ちたくなる...
それって...
変異への防御で、恐怖にかられ、
不安と猜疑心と依存心にいつも襲われて
クスリでクサリをつながれているような絵

医学、医療、医師というとなんか上質に聞こえるのね?(すみません)
でも「これ」を体の中でどんな作用するか何も知らされずにいる老人に自分を信頼させて針を刺す(注射をする)のよね?
「医師」という名前、国家資格者という権威者としてしていることを
引きで見ると...
「病気にならないために打ったほうがいいですよ」と言いながら。
実際は、一度でも入れたら、「入れないでは生きていられないカラダになる」
それは、
ヤク中、ヤク○、シャブ中?、売人やら、「それ」で依存させて働かせる?儲ける?世界の人と、
実質何が違うんだろう?という

極論ですけどね、
見えてしまった。
(本当の世界の姿きゃー)

なんだか同レベルに見えちゃった(^◇^;)(すみません。危険だと言わない人のことのみです。)

本当の医師とは、
人間の体の素晴らしい強さ、素晴らしい免疫システムなど、
人間の体の不思議、
それは本当の科学、に基づいて
人間を「命」を健やかに保ったり、
上質にしようと日々研究し、
志を貫いている人のことを言うのではないでしょうか?

命に関わるだけに
間違っていたら「間違いでした。」と言える
謙虚さが重要だと思いました。

(実は、心に直接触れ続ける保育士も、同じ重さを持っています!)

でもその意味で、
謙虚さがないと、
人の命に関わる仕事で
信頼もらえないですよね。

すみませーん。
厳しい言い方ですけど。
これは、私は医学の限界、薬の嘘、コントのような迷宮入りに気がついた約30年前に
結論してました。

でも「医学を学んでいたらわかること」だって、
謙虚に初心の志に立ち戻った
医師の方が言ってたもん。

ひげ先生

この方は、人間として地獄の手前で
気がついて戻ってこれたのだなと思いました。
お会いしたことはないけど。

成長とは、
アウフヘーベンの過程で起きること。
起き続けること。

正反合の問いや気づきがある。
自分が信じきっていたことだけど
そこに真実があるなら
「否定されて」いいじゃない?
逆に、真実を見たけど「否定されちゃやだ」と
エゴにやっつけられてたら、

新しい自分には会えないよ。

細胞は常に新しくなってるのに。
古い細胞は死んで、
エクソソームとなって排出され、
常に新しい細胞に生まれ変わる。

人間の自然だよね。
自然体で生きようとつくづく、思います。

自然から学ぶことです。
または、自然体の「赤ちゃん」から学ぶことです。


「医学を学んでいたらわかることなのに、それに気づかない。気づいても言わない。怖い」??

ということは、
厚生労働省は「見つかっていない、論文も存在しない」って言ってるのに、普段何をみて何を判断して医療行為をしているのだろう。
嘘の小人たちを見抜けず(そもそも疑問すら抱かない)
嘘のパンデミックも見抜けず
遺伝子組み換えが及ぼす害も真剣に研究せず
針の先から入れる液体の中身も調べようとせず、
人間が菌とともにずっと暮らしてきている歴史にも触れず気づかず?知らず?

命令が下りてきた通りに、何も考えずに打つ医師ってなんだろう?

と、
実感します。

そういう普通の市民として
「疑問」を感じることを、
見猿聞か猿言わ猿のように
塞がないように生きたいね。

権威の奴隷にはならない。
奴隷の思想で弱い立場の人間を誘導しない。

それはお年寄りになった親も同じく。
それは、子どもたちにも同じく。

知性が高いと思われている大学を出ていても
「理解できない」時にテレビの言う通りに洗脳されている事実。
「医学の進歩には人体実験は必要で、その時に死者が出て犠牲になっても安全性が確立する過程には必要です。」といってしまう事実に驚愕。
人間の心、どこにぃーーーーー!?
それでいったら「いったい何人死んだり重篤な副作用で苦しんだら、安全性確立しました!って思うのーーーーー?」

あまりの立っているところが違いすぎて
その時は驚愕した。

でもすぐに俯瞰してわかったから。

「おどろ...」かないよ!
「そう言うことか」とただ受け止めるだけ。

もし、本当に誠実に「本当に理解ができない」状態にいるなら。。。
地頭がいいだけに色々エゴが入り込んでこっち立たせればこっちが立たず的に「通常の理知的な理解力」が働かなくなっているだけで、一時的な混乱の中にいて、本当は本心から「調べて理解したい」「でも情報がありすぎてわからない、着地点があるならわかりたい」と思うなら...
と思って、情報は流し続けているけれど。



人は「気づく」時に、輝くんだよ。
光を発して、
光になって、
それが、あっと瞬く間に伝わるの。

周波数だから!
「あっ」と一瞬のうちに。

層が違う「目に見えないカラダ」の情報の次元。

この医師の方の経験は、多くの人の心を光で照らすでしょう。
有難いです。
気づきの光は、最強です。

感じて謝る。
これ、感謝。
有難う(奇跡 神)御座います(いらっしゃいますよ、わたしの中にいますよ、わたし自身ですよ)

のスパークだから。

これをライトランゲージと言います。

そして、
この時の体を、ライトボディと言います。

エゴを超えた時です。

つまり、「無条件の愛」の光に触れた瞬間です。

本来の自分です。

自然界も、赤ちゃんも、
私たちに、この「気づき」をくれる。

素晴らしいです。

自然界にないもの、
自然の営みと違う操作、
赤ちゃん(=子どもたち)の命を奪うもの(マスクとか注射チックんとか)
お年寄りはだんだん赤ちゃんに戻って純粋になっていく、その命を奪うもの(マスクとか注射チックんとか、洗脳とか)

それは、自然ではないものだから、当然に必然的に
存在できないものになっていく。
それは、
そうでしょう。

それを選ぶのですか?
と言う問いですね。

「自然に生きたい?(自然に楽に逝きたい?)」
「不自然に逝きたい?(痛み苦しみ、生きれない)」

どちらが自分、したいですか?

あ、どうして不自然が痛くて苦しいってわかるかって?
だって、厚生労働省から発表された「死亡者リスト」みてないですか?
または今、調べれば、いろいろ症例が出てきます。
調べてくださいね。
どの死因に「幸せな自然死」を読み取れますか?

このブログを公表してくれたリアル報告も、
読めばどれだけ、屈強にトレーニングした病理に詳しい医師でさえ
これだけ苦しんでいます。
医学を知っているから
冷静に自分を観察していますが。

「自然に生きたい?(自然に楽に逝きたい?)」
「不自然に逝きたい?(痛み苦しみ、生きれない)」

どちらが自分、したいですか?

あるいは、愛する人にそう願いますか?
「子どもに、親に」

選択の自由意志はあるけどね。

読んでいただき、有難う御座います。

わたしは引き続き、離れて暮らす大切な人へ。
思い込まされた接種者へ
光を送り続けます。

現世のその人は「元氣よ〜」と電話口では言いますので。
そのまま、のんきにハッピーで陽氣に暮らしてほしいな。

それも本人が選ぶ道だと知っている上で。
笑。

そうそう、今日、気のいいいい仕事をするクリーニング屋さんのおばちゃん。
「今日はね〜3時からワクチンをうちにいくのよ〜♪やっと予約取れたの!だからお店早めに閉めちゃうから。」って話してくれた。

それはそれは、一段と明るいトーンの口調になって「孫が、予約取ってくれたのヨォ〜うふふ。だって夜中の12時にならないと申し込みできないんだもの。でもよかったわ〜」と嬉しそうだった。

否定的な言葉は無用と思いました。

そのお天気波動で
ぶっちぎって欲しいなぁ^^
きっと、
明るい笑いで
ぶっちぎって
生き続けるでしょう!

と勝手に決めました💗
母も同じくね。

大事なことは、
「最期に、やりきって、幸せに楽に逝けること」

人生を共に楽しんできた家族に見守られてね。
そこだけは、実現してあげたいな。
父の時のように。
子どもたちと孫たちに笑いの中で見守られて。

わたしは、その時、手を握ってあげたい。
お母さんに「有難う」「生まれてきてくれて有難う」「生んでくれて有難う」「いい人生でしたね。」って言いたいんだ。


あ、
最後の文章は、
これもわたしの願いなので、
究極どのコースを母が選んでも全部肯定です。
この世の「自分が決めた体験したかったこと」を、体験しきったのだから、
全面的に祝福ですよ。

自分の執着にはしません。
そこは結構割り切ってまする。
母の、自由意志を心から尊重します。

ほら、そうすると、思い浮かぶのは「穏やかな楽しげな笑顔」しかないのよ。
だから。これが原理原則なんだとわかります。
宇宙の原理原則は「愛」
それは「笑顔」が象徴します。