「3歳児神話は神話にすぎない」は本当か?

 

というテーマで、考えを書いている社会福祉法人同志舎 共励保育園の理事長長田安司さんの文章を見つけた。

 

平成10年度厚生白書のことだ。


「3歳児神話は神話にすぎない」は本当か?

 

「三歳児神話には合理的な根拠は認められない」と、平成10年度の厚生白書に書いてあった。

これが問題の、ここから一気に日本の子育てが、階段を転げ落ちていったきっかけとなった白書である。

 

つまり母親の母性が、政府によって作為的に引き出され巨大になったエゴによって、葬られた。

母親たちはロックフェラーが策略した「ウーマンリブ運動」の時代から「女性の自立」とか「女性の地位の向上」とか「キャリアウーマンへの憧れ」という洗脳を受け、人間のエゴを刺激され、どんどん母性を忘れていった。

すでに社会の子育ては壊れていたが、

この白書で御用学者が書いて、厚生労働省の官僚がしめしめ予定通りとした「三歳児神話には合理的な根拠は認められない」によって、

完全に、タガが外れた。人間の「闇」が閉める割合が大きくスイッチが入ったのだ。

自分さえよければいい、の時代だ。

核家族化、食も医療も教育も消費も虚像に騙され、偽物の社会の中でどんどん体も心も毒されていった。

競争、差別、優生思想、心も歪み、いじめ、犯罪、

 

「三歳児神話には合理的な根拠は認められない」によって、0歳から保育園の10把一絡げの集団保育に入れることの弊害について、誰も言わなくなった。

 

半信半疑だった人もいたかもしれない。

けれど、ほとんどの母親が、未曾有の谷底へ目隠しをしたまま、気づいたら突き落とされ、真っ逆さまに落ちていった。

集団で。

 

0歳児から集団の保育所に預けることを奨励することは、

親子の心の絆(命の栄養)を切り離すことだ。

 

0歳児〜2歳の間に、母親だからこそ子どもに渡せるものがある。(母親がいなくてまたは病気などで育児できない、本当にできない状況がある時は、他の方法で誰かが母親の代わりを、代わりの方法ですれば大丈夫。父親や、祖母祖父、ベビーシッターなど)

心理学的にも、生物学的にも、脳科学的にも、将来それが発達していないと十分に持って生まれた個性を活かせない脳の発達やホルモンなど、心や体の機能に障害が(発達が阻害されたり、未熟だったりすることで、幸せで平和で調和的な人間関係が創れない)残る、と、研究されているものだ。

 

つまり、

 

親と子の関係をばらばらにするような施策を、

そう、施策として(強制力や、マインドコンロトール力があるものとして)

発表した、厚生労働省の目論見。

その御用学者、大日向 雅美さん。

 

 

「子どもを産み育てることに夢のある社会」を作ることができるのか?と、

共励保育園の理事長長田安司さんは、強い口調で疑問を書いている。

 

 

一部を掲載します。(以下、HPより)

 

はじめに

平成十年度の厚生白書(以下十年白書という)に「三歳児神話には合理的な根拠は認められない」という節がある。平成十一年の十一月にこの十年白書の裏話のような文章を目にした。

『十年白書執筆の何回目かの課内での打ち合わせの際、十年白書の責任者として全体を構成されるとともに、その大部分を執筆された椋野室長(当時)から、全体スケルトン(案)が提示された。そのスケルトン(案)の中の執筆担当部分に、「三歳児神話は神話に過ぎない」というフレーズがあった。このフレーズを眼にした時、厚生白書という政府刊行物の中でもし「三歳児神話」を打ち破るようなことが書けるとしたならば、それはすごいインパクトであり、それだけでも十分すぎる社会的意義があるのではないかと思った。』長田浩志厚生省大臣官房政策課課長補佐(当時)(保育界平成十一年度十一月号)

この文章で、

十年白書の執筆動機に大きな疑問を感じた筆者は「三歳児神話」について調べてみることにした。
白書というのは「政府の公式の調査報告書」である。

十年白書の巻頭には「少子社会についてさらなる問題提起を試みたもの」とあるが、

白書で記載された事項は「新たなる事実」としてひとり歩きしていく

白書は意図的な姿勢で作られてはいけないのと思う。

 

ここまで転載。

 

 

この「意図的、作為的、目的的に」作られた根拠があるというところが問題。
女性が踊らされた。

「生後56日の赤ちゃんを集団保育に入れる」ことと「失うもの」と、

自分のキャリアを守ることとどっちが、「今」重要なことなの?という

比較ができない、判断できない、選べない状態に、頭も心もさせられていたのは、

なぜ?ということ。

そういう構図の中にすでにいたということ。

マインドコントロールですよ

 

 

さらに、このような文章もありました。

十年白書の大きな問題点について指摘させていただこう。
第2章4節「親子」では

  • (1・3)母性の過剰な強調が、母親に子育てにおける過剰な責任を負わせた。
  • (1・4)育児不安や育児ノイローゼは、専業主婦に多く見られる。
  • (1・5)三歳児神話には少なくとも合理的な根拠は認められない。

と進められ、母親は子育てよりも仕事を持った方が良いとの印象を与える展開をしている。そして、それらの方向を支えるように

  • (1・6)大切なのは、子どもに注がれる愛情の質である。

との「量より質」論が述べられている。親と子の関わりには質が高いには越したことはないが、量が確保されないのに、どうして質が保障されるのかが疑問でならない。子どもからの声は量を欲していることを現場は多くの事例で知っているからである。

このような、十年白書の執筆者の論旨の展開には筆者の眉がぴくぴく動いてしまう。しかし、実際は十年白書に勇気づけられた若い母親たちの動く方向が予想される。きっと次のようになるだろう。

  • ▼子どもの責任は私だけではないのよ!
  • ▼仕事をしない母親は育児ノイローゼになってしまうかもしれないわ!
  • ▼三歳児神話は神話なんだって!
  • ▼0歳から保育園に預けても子どもに問題はないんだわ!
  • ▼仕事を見つけましょう!
  • ▼家の中だけの生活より、ずっと楽しいわ!
  • ▼収入も上がるし、リッチな生活もエンジョイできるわ!

男女参画型社会や男女平等に、そして子育ての過剰の期待や責任から母親を解放させることには誰も異論を唱えることはことはできないだろう。 

しかし、こうした社会的な風潮が形成されていけば、自由で豊かな社会に支えられた親たちは、子どもの間の距離を更に離してしまうということになるだろう。

 

全くその通りだと思う。しかも、

自由で豊かな社会だろうか?

本当に自由ですか?

借金、見栄、いい暮らし、学校での競争、学歴、会社の中の競争、受験戦争、学校、、、

本当に自由ですか?

 

男女参画型社会や男女平等」

「子育ての過剰の期待や責任から母親を解放させる

ことを実行したとしても、

何も自由じゃないし、

幸せ??ですか??

何かより優れてる?

誰かより上?

誰かよりいい暮らし?

いつも人の目を気にしてない?

いつも誰か他人が悪い、人のせい、何かのせい、子どものせいにしてませか?

子どもにどんな顔を見せていますか?

 

誰も、異論は唱えないけれど、実際に、母親を解放させて期待からも解放したのに
「こうした社会的な風潮が形成されていけば、自由で豊かな社会に支えられた親たち」

に本当になった結果になっているだろうか?

 

疲れていませんか?

夫婦は意思疎通していますか?

笑顔でいますか?

ありがとう

楽しいね、嬉しい、大好き、愛しているよ

って言ってますか?

感謝していますか?

 

そうなんです。

男女参画型社会や男女平等」

「子育ての過剰の期待や責任から母親を解放させる

を尊重しても、この風潮が形成されてるのに、自由で豊かな社会になっていない。のです。

親たちはますます、不幸になって、心が貧しくなって、見せかけの幸せを着飾って、心は疲れている。
 
そもそも、

男女参画型社会や男女平等」

「子育ての過剰の期待や責任から母親を解放させる

これをかけがえのない、二度とない、

0歳の時期と引き換えにするほど、

大事なことがわからなくなっている

 

それが「危機」だってこと、

そして、だからそもそも、

男女参画型社会や男女平等」

「子育ての過剰の期待や責任から母親を解放させる

は、失敗。いらなかった。
 
という結論。
 
これは、幻想だったのです。
騙されてきたんですよ。
 

 

この人の話は、恐ろしく「親と子の関係をばらばらにするような施策」に加担した考えです。

ヒステリックなすり替えです。

https://www.crn.or.jp/LABO/BABY/SCIENCE/OHINATA/03.html

ここで、恵泉女学園大学教授 大日向 雅美さんが、

3歳児神話は心理学、生物学、就労の問題によって否定されました。

大日向さんという学者は、「母と子の絆は、科学的に虚構」だとしてます!

(え??ですよ。)

しかもこの大日向さんは、「一般に信じている母性愛や3歳児神話は、実は近代以降の社会的な要請によって作られたイデオロギーであり、心理学や小児医学等の研究が、様々な形でイデオロギー形成に荷担した」とまで言っています。イデオロギー??

(は??ですよ。)

すり替えと、偏向的考察。わかりますか?どこで路線をすり替えたか。

急に

男女参画型社会や男女平等」

「子育ての過剰の期待や責任から母親を解放させる

の方向へ心理操作してます。怒りの感情が(マイナスの)動くように煽動してます。

....しかしこの人、心理学が専門って言っていたけど、、、

何も見えていない。と言うか、そうか、心理学というのは、認知したものをある意図した方向へマインドをコントロールする洗脳学ですから、この人は心理学の人なんですね。納得。

 

それにしても、この学者さんは、脳科学・脳生理学研究を知らないのか...?
HQ=人間性知能という、前頭連合野が担う知能、乳児の脳では神経回路(ネットワーク)が発達してシナプスが次々と結びついて脳が発達していく時期があり、それは乳児期(0〜2歳)における長期的な母乳と緊密かつ良好な母子関係、母子密着型育児、カンガルーケアなどと言いますが、そういう、まさに三歳児神話と言われた母子の関係性が、「科学的に」証明されています。2歳ごろまでの乳児脳に与える影響は途方もなく大きいということ)研究

これを素直に受け入れずに「イデオロギー形成に加担した」って、なんと感情的扇情的なんだろう。

こういう、○の悪い人が御用学者になって、人々を騙していったんですね。

 

「発達障害を予防する子どもの育て方」p64 メモタル出版
著者
前北海道大学教授・人間性脳科学研究所所長 溝口俊之
川崎医科大学名誉教授・Kids21子育て研究所所長 片岡直樹
前国際学院埼玉短期大学教授・さいたま市教育相談センター所長 金子保

 

 

そして、共励保育園の理事長 長田安司さんは下記のように、企業主導型の保育園についても、

問題、、、どころか、警鐘を鳴らしている。私も全く同感です。

企業主導型は、不正選挙総理大臣の安倍首相が推進した制度だ。

http://www.kyorei.ed.jp/_src/4485/kigyohoikumondai.pdf

 

さて、

「心に穴の空いた子が育った」

この罪を誰が「自分の責任だ」というだろう?

 

政府自民党?官僚?御用学者?母親たち?ロックフェラー?

 

私は、自分も含めて「母親」自身が「自分ごと」として認識することが必要だと思います。

もちろん、罪はない、とも言えます

操作され、洗脳されてきたから。

悪いのは...

と言いたくなるかもしれないけど、結局自分の意思です。最後は。

なので、現実として、自分のことを省みることこそ、必要なことと感じます。

 

3歳児神話に乗っかって、喜んだ母親。

 

三歳児神話崩壊を受けてこんな風に思いませんでしたか?

  • ▼子どもの責任は私だけではないのよ!
  • ▼仕事をしない母親は育児ノイローゼになってしまうかもしれないわ!
  • ▼三歳児神話は神話なんだって!
  • ▼0歳から保育園に預けても子どもに問題はないんだわ!
  • ▼仕事を見つけましょう!
  • ▼家の中だけの生活より、ずっと楽しいわ!
  • ▼収入も上がるし、リッチな生活もエンジョイできるわ!

ニアリーイコールも含めて、

これを直視して認めなくてはね。

 

この意識がみんなの、集合意識が、

「心に穴の空いた子が育った」ことの原因です。

 

仕事を持つこと、働くことを免罪符として子育ての重要期を放棄することへ問題提起させなかった厚生白書、それを煽った教授、この教授のおかげでどれだけ、スーパーマーケット、コンビニみたいな薄っぺらで、恐ろしい保育や、モンテッソリー教育やシュタイナー教育や、体操教室、英語教室などをやってますと歌う商売保育が儲かったことだろう。

 

御用学者は、さも母乳育児ができないと言う母親、母子神話でノイローゼになり、虐待をしてしまうという母親の味方になっているようだけど、、、、

 

よく考えてみよう。そもそも、なぜ、育児より働くことが重要だと思わされてきたのか、なぜ、「劣等感、優劣感、見栄、人の目、あの人もやってるから、みんながやってるから、流行りだから」に振り回される思考になっているのか、なぜ、子どもを引き離すことで(しかも全員が虐待をしてますか?)虐待を防ごうとするのか!虐待の予防の基本は逆ですよ!虐待の予防の基本は「親子を切り離さないこと」なんですよ。その間にベビーシッターなど人が入ることで母親が正気に戻るのです。一呼吸置くことができるのです。余裕ができてまた子どもを愛せるのです。その過程をすっ飛ばして、母子分離は逆です。寄り添う人をつければいいのです。)
本当にこの大日向さんという人は、お門違いの心理学者ですね。母子のこと全然わかってない。

というか「愛着」をわかっていない。愛がすっ飛ばされてますね。

 

子育ての過剰の期待や責任から母親を解放させる」ということに対しては

「寄り添い、一緒に育てていく」「十人十色の育児でいいよ」「母乳が出なくてもたくさん胸に抱いて目と目を合わせ声をかけてあげていれば大丈夫よ」「育児の中でお母さんに育ててもらうんだから、最初はわからなくていいのよ、なんでも聞いてね。」「一人じゃないよ」とという「寄り添い」の考え方があればよかったのにと思います。

 

ただヒステリックに、「足りない」「劣等感を煽り、それがあたかも子どもの存在のせい」だという話になる教授さんですね。

 

読んでいて大日向さんという人は親と子の関係をばらばらにするような施策」を目指して白書で強制力を持って母親たちをマインドコントロールする意図で記載した政府の御用学者であることがわかり、気分が悪くなった。

保育園が保育
業界などと言われるようになり、業界って...

船井総研、ベネッセなど、大企業が政府の片棒を担いて

ますます、安易な保育園の運営ができるようにパックに詰めて、売り、

ますます、子どもたちが愚かな政策の犠牲になり、

ますます、保育士の層は薄くなり、質が悪くなり、

 

全ては

日本を乗っ取っていたユダヤ系アシュケナージュ、イエズス会が日本人撲滅計画の目論見通り。

こういう味方からもよく見えますよ。この三歳児神話崩壊は。

それは、金融マフィアで日本の政治や経済など全ての分野を裏で操り、巨額のお金を集めていたロスチャイルド家の「母親から母性を失わせ、愛情をかけなくし、子どもを産まなくしたり、心を殺して将来子どもが戦いあって殺しあったり、自殺をしたりするように仕組ませ、仕事をする女性からも税金を搾り取る」そういう仕組みを作ったところから始まった、洗脳政策「ウーマンリブ運動」

この策略の延長上です。そういう真実が隠されています。

陰謀論と言われてきたことが裏で糸を引いてきたこの世界の闇の真実から見るから、紐解けます。

 

ウーマンリブ政策が、日本の女性たちの「エゴ」を磁石のように引き出し洗脳していった。食べ物や飲み物、化粧品や、美容品、ファッションや、アイドル、芸能、スポーツ、映画、女性たちを、印象操作からも化学物質や有害物質を体の中へ入れる操作からも、

母性から遠ざけるあらゆる操作と嘘を日常生活に織り交ぜ入れ込み、騙されていることに気づかれないように、コントロールされてきた。

「素晴らしい女性像の虚像」もマスコミやメディア、映画、本、テレピ、アイドル、女優、世界の女性成功者などで作り上げられてきて。(サブリミナルなどの洗脳手法によって)は便利で素敵なリッチな暮らし、育児は大変、辛い、自己犠牲のように感じてしまう、自分が好きなことをするのが何が悪い、などの考えがアンバランス的に発達し、脳内を閉めるようになり、母性的なホルモンさえ出ない体と心になっていった。そこへ、「0歳児から保育園に預けても人格的支障はない」と免罪符が国から発行された。

洗脳されて、エゴホルモンによって母親たちは、でも罪悪感を見透かされないように「キャリア」とか「生きがい」「リッチ」などともっともらしい理由を演出し(計算し)、保育園へ預けた。
生後56日から。まだ首が座っていないうちから。これから、様々な脳内も心も一番人生で劇的な成長をするために、愛着形成という栄養が一番必要な時に。

でもそういう、本当の心理学も脳科学も生物学も活かされなかった。

それより、感情論。

マイナス思考をうまくマインドコントロールの餌に使われた。

 

そんなことに、洗脳された脳ではわからない。

 

でも。。。

 

母親には、子どもを産んだ母親には、死に切れない細胞(記憶)がある。

「母性」がどこかの隅でひっそり、瀕死の息を残していた人もいた。

その人は、気づくのであった。

おかしい、と。

そして母性の方に意識が向くと、自分が間違っていたこと、

なんか浮ついていたこと、自分を欺いていたこと、それも無意識に。

本当は、子どもを邪魔と思ったり、自分の社会的な立場を強く見せる「見せ方を強化する」ために子どもの存在を利用して見世物にしたり、していたのに、気づかないふりをしたり、あるいは、バレないように「大変なふり」をしたり

 

本当は....

そうじゃなかった...

 

ごめんね。

今、気がついた。

 

本当は私がやらなくちゃいけなかったことだった。

何を、血迷っていたんだろう。

 

あの時は、ただ、目をそらしたかった。

あの時は、自分の満足が満たされないことは我慢できなかった。

あの時は、それがかっこいいと思っていた。

あの時は、子育てが辛くてしかなかったから逃げたかった。

 

ごめんね。

今、わかった。

 

あの時、ママは、あなたより、自分を見つめていない自分の満足を満たす自分のことしか見ていなかった。

 

私はあの時、あなたを見ていなかった。

自分のことしか見れなかった。

 

あなたを無視していました。

あなたを認めていなかった。

あなたを否定していたのね。

あなたを....

 

 

本当にごめんね。

 

もっと、もっと、、、、あなたは、自分らしく自信を持って、幸せになれる能力を持てたはずだった。

 

ごめんね。

と、いつか言う日が来るだろう。

自分が子どもへしてきたことが返される時期を経て...

 

寂しかったね、あの時はごめんね。と。

 

そうしたらお母さんが「目醒めた」と言う合図。

もう大丈夫。そこから始まります。

 

気が付きさえすれば、全てはオールラッキーでオールハッピーになるのです。

 

でも、有難う。

今、ここに一緒に生きてくれていて。

有難う。

今、あなたが生きてくれてるから、私は気づけました。

今、幸せに気づくことができました。

 

有難う。

感謝とは「感じて謝る」です。

 

 

最後に、長田さんの文章にこのような転載記事があった。

オランダの大蔵省大臣官房秘書のヤンさん夫妻の言葉である。

「多くの人が子どもとの時間を望むようになってきた。仕事のキャリアは後からでもつくれる。しかし、子どもが幼い時間は今だけだ。」

「キャリアやお金ではなく、生活を選んだの。子どもと一緒に暮らして、生活が落ちついた。たくさんのモノを得たのよ」

 

「子どもが幼い時間は今だけだ。仕事のキャリアは後からでも作れる」

 

ほんとですね。

三歳児神話崩壊は崩壊してません。

と言う話でした!