「不登校」を考えるときに、もっておきたい三つの視点。
 
 

 

1. 学びのあり方が合わない

 

→オルタナティブスクールやホームスクールを選択するのもあり、学校のアップデートを働きかけるのもあり。
 

 

2.本人のもつ発達や困りの視点

→適切な支援につながること、反射の統合や整体、オステオパシーなど身体からの発達を促すこと。

 

 

3.親の囚われの視点

「学校」「世間」「常識」「こうでなきゃ」などなど外の目を気にする自分や自分の内側の問題に向き合うこと、学校の意義などを捉え直すことなどが必要。
「与えられたものをやるのが当たり前」の発想が自分も子どもも縛ってないか。
 
 
 
「不登校」にはいろんな要素が絡まってる。
 
支援や対応を選ぶ時もどこの視点でやるのか、本当に困っていることや必要なことに対して抜けがないか、という視点は大事だと思う。
 
たとえば、
 
学校が古い、悪い!
 
だから新しい学び場で!
 
とオルタナティブに通わせても、子ども自身の発達や身体の困りに働きかけてなければ、オルタナティブでも通うのがしんどくなったり、その後の社会生活で困りが残ったままなんとかやってく、やってけない、みたいなことも起きてくるし、これはなんかのきっかけで学校に復帰したとしても同じ。
 
親としても、なんか心配…が抜けないのはこういう点じゃないだろうか。
 
 
同じく、どんなにいい環境でも、親自身が色々なものに囚われたまま子どもに接していたら、子どもの苦しさは不登校以外の形でも出てくるかもしれない。
 
 
発達のことは、安心安全な環境でいろんな経験を積むことで自然と発達していくこともある。
 
けど、やっぱり統合ワークとかで身体や脳から働きかけた方がぐんと早いだろうと思う。
 
過去の不登校だった自分の経験と、息子とを比較しながら、今も考察は続いている段階。(ちなみに発達も親が先にしないと子どもがそれ以上伸びない天井になってしまう)
 
そして親の囚われに関しては、やっぱり親が自分と向き合わないといけない。
 
不登校になったときはまず安心できる環境を確保してあげた上で、子どもを変えようとするのではなく、身体的脳的な発達を促すアプローチをとりいれながら、結局は親が自分の発達や囚われに取り組む、のが遠いようでいちばんの早道じゃないだろうか。
 
 
学校に行かせることが目的ではない。
 
その子らしくもってる力を発揮して幸せになるのが目標だよね。
 
 
以上、私自身の不登校経験、息子の不登校経験、ホームスクーリング、フリースクール運営などを通して色々な親子さんや支援団体さん、身体からのアプローチなどを見てきた上での考察でした。
 
 
 
※親も子もぶっ飛び系宇宙人の場合はもう好きに楽しくやってくださいってかんじですけどね😆✨✨困ってなくて楽しかったら別になんでもいいんだよw