台東区 橋場の歴史 85才の老人 2人に、聞きしました。

 

橋場すみれ園  オーケー橋場 

 

 

オーケー橋場  橋場すみれ園  

はしば薬局 橋場モータープール 東京都人権プラザ 

 

 

橋場すみれ園 スーパー堤防 階段

はしば薬局 橋場モータープール 東京都人権プラザ 

 

 

解体後  東京都人権プラザ 

はしば薬局 橋場モータープール

 

2021年 12月2日(木) 中川先生と散歩中 撮影

 

 

橋場のこと。 2021年12月2日

 

橋場すみれ園 以前は、ワグナー倉庫。

その前は、日馬と言う屋敷があった。

相撲取りが小遣いをもらいに来ていた。

 

 

オーケー橋場 昔は、三四物産。ガソリンスタンド。 

その前は、郵便局 配送トラック置き場。(2階は畳が敷いてあった。)

その又昔は、 トカゲ山 (凧揚げ大会が行われていた。)

 

 

 

 

 

浅草病院 その前は、区営のアパート、 道路があった。

15年位前に、道路にいた男性を車でぶつけて殺してしまった。

殺人事件があった。(親族関係 兄弟?)

 

赤い 殺人事件があった場所 

その場所に、浅草病院が建った。

 

 

 

大谷さんの屋敷 (石浜図書館の前付近)

敷地内に、本宅 別宅が建っていた。

別宅には2号さんが住んでいた。

 

 

橋場2丁目の都営団地。 昔、ここに釣り堀があった。

釣り船・船七の南側が釣り堀だった。

 

 

 

白鬚橋  対鴎荘

白鬚橋の付け根 隅田川から明治通りに沿って川が流れていた?

 

船を揚げる場所だった。 坂道。

いわゆる船の駐車場。 船着き場。

 

橋場は、風光明眉な地で、かつては別荘地でもありました。

対鴎荘跡は、明治時代の政治家三条実美(1837~1891)の別邸でした。
「征韓論」をめぐる政府内の対立のため、心労のあまり病に倒れた三条実美は、

この別邸で静養していました。明治天皇は見舞いに訪れたのが、この邸です。
対鴎荘そのものは、昭和3年(1928年)、白髭橋架橋工事に伴い、

多摩聖蹟記念館(多摩市連光寺)に移築さてました。

 


白鬚橋  対鴎荘                             

明治天皇行幸対鴎荘遺蹟の石碑 写真の右端

 隅田川畔の橋場一帯は、風光明媚な地であり、かつては著名人の屋敷が軒を連ねていたという。

対鷗荘(対鴎荘)もその1つで、明治時代の政治家三条実美(1837~1891)の別邸であった。

 

 昭和6年、竣工当時の白鬚橋

 

 

追記

 

橋場村鋳銭座之絵図  大川  橋場村 

どこにあったのか不明? どっち? 

 

 

真先銭座 荒川区南千住 ガスタンク近く 

橋場銭座 台東区橋場 東京都人権プラザ周辺

 

 

橋場真崎の銭座跡 (当時の地番で地方橋場1373番地)だったにもかかわらず、語り継ぐ人は少ない。

皮革産業資料館 副館長 稲川 實     靴の歴史散歩 114

https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public/169_1.pdf?fbclid=IwAR2zRPwSc_4M78gmsTF-mNdxJ6yu-lacUjc8F9TsxHJnElAL3a_eXs-k8r8

 

 

追記

 

真先銭座跡の掲示板

 

 

真先銭座跡の掲示板

 

 

橋場村鋳銭座之絵図  大川  橋場村

図面の右上に、

坪数が、6580坪 (6474坪 + 106坪)と書かれている。

真先銭座跡の掲示板に書かれている敷地の坪数と一致した。

 

 

真先銭座は、江戸時代末期の文久二年(1862)、

百文通貨の天保通宝鋳造ために設けられた大規模なエ場である。

百文銭鋳立所」と呼ばれた。

姫路藩酒井雅楽頭の抱屋敷の 建物を転用し施設が築造された。

それ以前は、

石浜神社の神主・鈴木兵部の屋敷地の 建物を転用し施設が築造された。

 

天保通宝の他、文久一永宝も鋳造された。 數地は、六千五百八十坪(約22000㎡に及んだ。当時の絵図などから、石浜神社の北束南千住三ー三七・三八付近から、瑞光橋公園 (旧座田川貨物駅運河と水門跡)あたりまでと推定される。平成二年三月の試掘調査で、天保通宝鋳造エ程でできた屑鉱などが出土した。

 

天保通宝は

天保6年(1835年)に

100文銭として江戸の橋場で初めて鋳造された。

寛永通宝は寛永13年(1636年)から鋳造された江戸時代の代表的な通貨である。

 

 

銭座絵巻 浅草橋場北の真崎巻 1

https://www.edohakuarchives.jp/detail-3208.html

 

 

寛永通宝(かんえいつうほう)

寛永通宝は、寛永13年6月(1636年)に、幕府が江戸橋場に銭座を設置。

台東区橋場一丁目  東京都人権プラザ あたり。

古寛永

浅草銭/御蔵銭(あさくさせん/おくらせん):江戸浅草橋場の銭座で鋳造。