台東区 橋場の相撲部屋

常盤山部屋が移転、先代親方自宅から

 

千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)の自宅

元 舛田山      元 隆三杉

 

常盤山部屋が移転、先代親方自宅から

 

2021年 1/20(水)

大相撲の大関貴景勝らが所属する

常盤山部屋が2月中旬に東京・台東区橋場から

板橋区前野町に移転することが1月20日、関係者の話で分かった。

台東区橋場の部屋は

先代常盤山親方の千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)の自宅。

同親方は4月に再雇用制度の任期が終わるため、

4月末までに拠点を移すように取り決めていた。

3月の春場所が大阪開催の予定のため、

大阪に移動する前に引っ越し作業を済ませる。

 

 

 

元 舛田山 

2016.04.07   2016年4月

元隆三杉、異例の継承へ 一門異なる千賀ノ浦部屋へ

10日に日本相撲協会定年の65歳となる

千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)は

4月7日、

自身の部屋の継承者に

常盤山親方(55)=元小結隆三杉、

本名金尾隆、神奈川県出身、貴乃花部屋=

が決定したと明言した。

8日にも協会から正式発表される。

千賀ノ浦部屋は所属する出羽海一門で継承者が見つからず、

貴乃花一門の親方が引き継ぐ異例の形式となった。

 

部屋の名称は変わらず、千賀ノ浦親方は

70歳まで相撲協会に在籍する再雇用制度を利用

「常盤山」に名跡を変更予定。

同部屋は2004年9月に設立され、

現在は元幕内舛ノ山ら力士12人が在籍する。

 

 

元関脇 舛田山

舛田山靖仁

生年月日: 1951年4月10日 (年齢 69歳)

出生地: 石川県 七尾市

身長: 187 cm 体重: 152 kg

引退: 1989年7月

学歴: 拓殖大学

所属部屋 春日野部屋

 

 

 

<栃の山 断髪式> 2013年6月19日

師匠の千賀ノ浦親方(元関脇 舛田山)が

止めばさみを入れます。

涙をこらえる栃の山

拓殖大学を出て、18年を越す現役生活。

40歳まで土俵を務めました。

 

 

日の出 朝日 東京スカイツリー 鏡のような水面 正月 元旦  

栃の山(3分30秒~)  2011年 1月1日 隅田川テラス

千賀ノ浦部屋(入門時は春日野部屋)の元大相撲力士

 

 

 

 

2020年11月26日

日本相撲協会は11月26日、東京・両国国技館で理事会を開き、

常盤山親方(69=元関脇舛田山)と千賀ノ浦親方(59=元小結隆三杉)が年寄名跡を交換し、千賀ノ浦部屋の名称が「常盤山部屋」の名称に変更することを承認した。 

先代千賀ノ浦親方の常盤山親方は、

来年4月に再雇用制度の任期が終わる。

千賀ノ浦親方は16年4月の部屋継承前まで

「常盤山」を襲名しており、今回の名跡交換は継承時から両者間で取り決めていた。

 

 

 

 

 

 

常盤山 太一

 

挨拶   2020 11月27日
「当初より私の名跡は五年で元に戻して頂くお約束があり、

昨日正式に

私が千賀ノ浦から元々の『常盤山ときわやま』に戻り

部屋の名称も新しく『常盤山部屋』となりました。

再び新しい船出の時、

皆様引き続きまして部屋のみんなの応援宜しくお願い致します。」
常盤山 太一

 

 

隆三杉 太一

 

 

 

隆三杉 太一(たかみすぎ たかかつ、1961年3月1日 - )は、

神奈川県川崎市川崎区出身(出生地は兵庫県姫路市)で、

二子山部屋に所属した大相撲力士。

最高位は西小結(1991年1月場所、1993年1月場所)。

本名は金尾 隆(かなお たかし)。

現役時代の体格は179cm、150kg。

現在は、年寄・常盤山であり、そして常盤山部屋の師匠である。

 

 

 

 

貴景勝所属の千賀ノ浦部屋

「常盤山部屋」に名称変更

 

元 隆三杉     貴景勝光信

『常盤山部屋』です。 よろしくお願いします!

2020年 12月2日  石浜神社 橋場の氏子神社

 

 

 

小錦八十吉

1982年
ハワイ大学付属高校卒業後、
高見山 (現在の東関親方)にスカウトされ
高砂部屋に入門
生年月日: 1963年12月31日 (年齢 57歳) 
出生地: アメリカ合衆国 ハワイ州 ホノルル 
部屋: 高砂部屋 (1982年 - 1997年) 
番付: 大関
 
 
 
 
1987年05月27日 記事
祝福される小錦 
小錦、初の外国人大関 大関昇進が決まり、
部屋の若い力士の騎馬上でガッツポーズをする小錦
=27日午前10時すぎ、東京都台東区の高砂部屋
 
 
 

1988年 2月21日
大相撲 高砂部屋の小錦を訪問したマイク・タイソン
 
 
 
高砂部屋
1988年10月に5代高砂(第46代横綱・3代朝潮)が急逝したため、
高砂部屋の部屋付き親方である14代尾上(元小結・富士錦)が
6代高砂を襲名して高砂部屋を継承した。
 
翌1989年12月には、部屋施設を
台東区橋場一丁目に移転した。
2001年3月場所には、闘牙が十両に陥落したことで、
明治時代から続いた部屋の幕内力士在位が途絶えてしまった。

 

 

元小結・富士錦

1988年(昭和63年)に5代目髙砂(元横綱3代朝潮)が亡くなると

6代目髙砂浦五郎として髙砂部屋を継承した。

師匠としては先代から引き継いだ4代朝潮は既に衰え、

朝潮の引退後、小錦は横綱目前水戸泉は大関を狙える所まで進みながら、どちらも膝の故障で果たせず番付を下げるなど力士の育成に苦労したが、直弟子の小結・闘牙、十両・泉州山など個性的な力士を輩出した。

 

1994年(平成6年)、

東京都台東区に髙砂部屋が入った自宅マンションを建てたが、

2002年(平成14年)の若松部屋との合併により、髙砂部屋は若松部屋の建物に移転する形となったことから、相撲部屋としては空き家になった。

そのため、現在では独立間もない若手の部屋持ち親方に部屋を貸している(現在は常盤山部屋が入居)。

 

 

 

 

千賀ノ浦部屋は、出羽海一門に属する相撲部屋。

2004年 平成16年に、元関脇 舛田山靖仁が、

春日野部屋より独立して

(一時中絶していたものを)再創設したものであるという。