浅草 浅草寺 観音様 秘仏本尊 御神体 御前立御本尊
 
何が真実だか調べてみた。
 
 
秘仏本尊の聖観音像は、長期間にわたって見る者がなかったため、
明治時代には実在が疑われるようになった。
このため明治二年に役人が来て調査を行ったところ、
本尊はたしかに存在していたことが明らかになったという。
この時の調査によれば、奈良時代の様式の聖観音像で、
高さ20センチほど、焼けた跡が伺え、両手足がなかったという。
ウィキペディア(Wikipedia)
 
この三人は、調査の後、亡くなられたと言う話がある。
(寿命、病気、事故、調査の後、何ヶ月後、何年後?)
 
 
 
2013年秋 10月18日 御前立御本尊御開扉    
御開帳された御前立観音様の写真を見ると、木の像のようである。 
その後ろの御厨子の中に秘仏の三寸観音があるらしい。
 
 
 
 
 
浅草観音の御神体は、明治時代になくなっているらしい。
 
様々なところから、浅草観音の御神だと言ったものが数多くでたらしい。
全てが、大きさ一寸八分の観音様だったそうである。(約5センチ5ミリ)。
本当の御神体は、台東区今戸の長昌寺に安置してあったそうです。
それが、御開帳の時に浅草寺に移されたそうです。
 
徳川家康は、一寸八分の観音様を持ち歩いていたとも言われている。
 
(真実のようであり、疑わしいところもある。)
 
 
 
1300年の間に紛失した可能性もありうると思う。
 
 
 
「浅草観音の御神体」 
社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で
漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。
兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、
二人は毎日観音像に祈念するようになった。
 
 
観音像は、投網にかかったそうである。 
金で出来ていたら、投網にかかるのは難しい。
 
古い話は、人から人に伝わるうちに変わって行くものだと思う。
 
 
 
 
二天門 にてんもん  浅草で古い建築物
現在の門は、その形式と技法より、慶安2年(1649年)頃に建立されたと言われる。
 
 
 
 
 
もんじゃ発祥の地はどこ?
 
発祥の地なんてどこでもいいですが。
 
台東区今戸の長昌寺の前に、もんじゃ屋があった。
よく食べに行ったものである。今から46年くらい前の話である。(真実)
 
七輪の上に平らな鉄板がのっていた。
もんじゃの汁を鉄板に開けると、自分の膝に流れてくる。当たり前の話。 
もんじゃはコップに入って出てくる。 具は無し。
追加で足していく。 様々な具材の1品の追加料金は10円だったと思う。
 
 
もんじゃ発祥の地は、月島ではないことは確か。
 
 
 
 
※ 台東区今戸の長昌寺  しだれ桜は美しい。
 
 
 
 
 
 
追記 おまけ
 
イメージ 1
 浅草 浅草寺ライトアップ 本堂
 
 
 
 
イメージ 2
 浅草 浅草寺ライトアップ 消灯後 本堂
 
 
 
 
 
分かっている確かなことは、
この浅草寺本堂 宝蔵門 宝蔵門 雷門 五重塔のできた年である。
1960年前後である。 それは写真が証明してくれる。