ここ数カ月心療内科に通っている
まだ自分の状況も
完全には理解してはいない
ただ自分自身が心を病んで
これを他人に言われたら
余計に苦しい、という語句があるということが分かってきた
これは誰にでも該当するわけではないだろう
私の場合は心身症、抑うつを伴う適応障害、軽度の鬱状態
ストレスを感じやすい性格ではあるが
職場の過度のストレスが原因で逆流性食道炎になり
長期的に情緒の不安定や不眠に悩んでいる
ストレスに弱いという個人的な性質を超えて、
個人が耐えられぬほどの環境にいたのである
すでに個人でどうにかなるという領域を超えているから心療内科に通っているのである
それなのに
「真面目だからだよ」
「几帳面すぎる」
「ポジティブに考えないと」
「相手は変わらないから自分を変えないと」
と言ってくる人が多い
仲の良い人でも、である
分かっている
彼らは善意で声をかけくれている
思いやりには感謝している
気を遣ってくれていることも知っている
でも、上記の言葉は全て
私という個人の人格を否定し、無理に無理を重ねるよう促している
ようにしか聞こえない
完璧主義、真面目、だとうつ病になりやすいとよく言われる
そうだろう
でも適応障害の疑いが強い時、
患者の中にはストレスの原因が特定できていて、
自分の性格や性向が反映されている場合もあるかもしれないけれど、
もう自分ではどうしようもないという局面に至っているのである
だから、
真面目だからだとか、気楽にやれと言われたところで
無理なのだ
散々ポジティブにとらえて我慢してきたのに、
さらにポジティブになれってのは
ただのバカになれって言ってるように聞こえるんだ
自分を変えろってのは、自分を殺せということ
今までの自分は否定されるだけ
ただ否定されて
人間不審になる
真面目な人間に不真面目になれと
几帳面な心配やに
おおざっぱで気楽になれと
いくら好意からであっても
役に立たないどころか
人を否定し傷つけるアドバイスをして
勝手に満足している人間がもっとも迷惑
相談されてその場で思いつくようなことなんて
大抵役に立たない
もうそんなの考え尽くしたしやってみたさ、
という代物ばかり
「考えるな」と言われて思考を停止出来るならば病まない
相談した人の心の中に答えはあるのだし
大抵は聞いてほしい、とか理解してほしい、
という欲求を満たしたいだけなのだから
私だって軽率な意見を述べてしまうことがある
でも、この数カ月で
その軽率な発言がいかに重くのしかかり
問題を必要以上に深化させてしまうか
イヤほど分かった。