前回からの続きです。


高野山の宿坊 福智院さんで


目覚めた朝は睡眠時間が短かったわりには


体も頭も目も


スッキリしていましたニコニコ


(朝6時の勤行には寝坊して出られなかったけど汗


お大師様のふところで


安心して眠れたからかなぁ、と


思うのです。


識子さんのお話では


高野山ではどこでもお大師様と


つながれると聞いていたので


お風呂に入っている時、ごはん時、


寝る時、寝ながら、、、などなど


ずっとお大師様に話しかけていました。


さて、朝ごはんのあと


ロビーで☕️をいただき


ゆっくりしたあと


チェックアウトしまして


9時前には福智院さんを出発。


奥の院へ向かいました。


徒歩20分くらいで奥の院 一の橋到着。

一の橋からはたくさんある


お墓や供養塔の中を


歩いて向かいます。


ご挨拶したのは、所縁のある


仙台藩伊達家供養塔と秋田藩佐竹家供養塔。


あとはチラ見のスルーしましたチュー


やっと御廟橋。


向こうに奥の院の燈籠堂が見えています。


ここからは撮影禁止。

ずっと神聖な空気でしたが


ここからさらに清々しくもピリッとした


空気になりましたね。


少し行くと左手に弥勒石。


片手でなんて重くてぜんぜん


持ち上げられず!


笑ってしまうほど重かったです。


燈籠堂でお線香を奉納。


中に入るとご祈祷中。


ちょうど般若心経がはじまったので


一緒に小声で唱えました。


そしてお賽銭箱のとなりにあった


写経入れに自宅で書いてきた


写経を一枚置かせていただきました。


為は、今年の2月に亡くなったおばのため。


お大師様に届けていただけるのなら


こんな素晴らしい供養はないと思い


お供えさせていただきました。


わずかながら気持ちをお賽銭へ。


これが2日後に最高にステキな結果として


返ってきましたびっくりマーク


なんと高野山から帰って2日後の


朝の夢に


おばが夢に出てきたのです。


亡くなった時は80代後半だったおばが


30代くらいの美しーい姿飛び出すハート


出てきてくれたのです。


はにかんで恥ずかしそうに


ニコッと笑っていました照れ


あぁお大師様がお経を届けてくれたんだなぁ


そのお礼で姿を見せてくれたのかなぁと


胸がジーンとしましたキューン


このことからも


お大師様はほんとうにおられる、


写経も届けてくれる、死後の世界はほんとうに


あるということがわかります。


さらに桜井識子さんのおっしゃっていることも


真実であると。


わたしの信じていることは間違っていない


と確信できましたおねがい


話は元に戻りまして


燈籠堂のうらにまわると


お大師様が入定されて


今なおわたしたちのため瞑想して


くださっている御廟があります。


ここでは感動してちょっとうるうる悲しい


そして少しの間はぐれていた夫と


再会できてまた御廟橋のところへ


戻ってきました。


そこで10時。


あと30分待って生身供のご入場を


見ることができました。


みなさんお坊さんの後ろを


ゾロゾロと。


あっという間に見えなくなりました。


わたしたちは奥の院の御朱印も


いただきまたお墓と供養塔の中を帰ります。


そこでもうすぐ一の橋に到着のところで


びっくりなお見送りさんが登場しました!!

わたしの前を歩いていた夫が


通り過ぎたあと


わたしの足元にぴょーーーんと


躍り出てきたのです。


キレイな尻尾のカナヘビさんラブラブラブラブ


危険を顧みずに飛び出して


きてくれてありがとう泣くうさぎ


お大師様から言われて


お見送りに出てきてくれたのかな。

長くなったので続きます。