人って、なんで生きてんだろうって
たまに思うんですけど、

 

それは結構どうでもいいことで

この問いに対して答えが見つかったとしても

 

生きるための力になるわけではないなって

そういう答えにたどり着いたんですよ。

 

 

 

 

そんで

 

 

質問を変えてみたんです。

 

 

 

何をもってして生きればいいか

 

つまり

 

生活を営む上で何を重要視すればいいか

 

 

ということを考えました。

 

 

 

きっと答えはひとつ

 

 

 

幸せだったらいい

 

 

ってことなんですよね。

 

 

 

生きてく上で何を基準にして生きるかは

幸せかどうか

 

 

 

んで、

幸せの解釈が違うから

いろんな意見があると思っていて

 

 

特にわかりやすい例でいうと

男性性と女性性

 

 

 

男性性は誰かに必要とされる、だとか

人のために役に立つ、だとか

 

 

そういうところに幸せを感じます。

 

 

 

女性性はどちらかというと

自分の幸せが一番なんです。

 

 

これは自己中だと思われますが

大真面目に、そういう性質なんですよね。

 

 

で、私はどちらかというと

女性性が強めな人なので

 

自分が幸せだったらいいという考えのもと生きてきました。

 

 

例えば、大学は

偏差値の高い大学に受かったけど

福岡が好きだから福岡の大学に通ったり

 

大学入ったと思えば

通信制に切り替えて社会人になったり

 

 

普通の人からしたら

「偏差値高い大学行っときなよ」と思う部分を

選ばず、福岡に住んでみたいという気持ちで福岡の大学に進学しました。

 

 

それで、大学に通ってみたら

通学するのがめんどくさくて(寮だったんで徒歩5分だったけど笑)

 

 

「学校がこいや!!ムキー

 

 

って思って通信制の大学にしたんです。

 

 

 

これまで、私は

私の下した選択を「お金のせいだ」と思ってました。

 

 

偏差値の高い大学は授業料が高くて

東京に住まなければ行けなかったため、

うちにはそんな余裕はない、と思って福岡の大学にしたと思ってました。

 

 

通信制の大学に切り替えて

社会人になったのも

お金がないから仕方なくやったのだと思ってました。

 

 

 

この人生を歩んでいる本人がそう思ってたから

 

そうだったのでしょう。

 

 

 

しかし、

全部が全部「お金」のせいではなかった。

 

 

 

確かに、

お金に余裕はなかったけれど

 

私が選んだ大学だった。

 

確かに。

お金に余裕はなかったけれど

 

私が選んだ道だった。

 

 

 

これから先、

選ばなかった道を羨ましく感じることはあるだろう。

 

私は学歴を捨てた。

 

ある一定の可能性を捨てた。

 

 

だから新しい可能性に出会えた。

 

 

 

幸せにはいろんな人の定義があるし

いろんな考えがあるけど

 

きっとどれも正しい。

 

真実はいつもひとつ

「その人が幸せならそれが全て」

 

 

解釈は無限大

 

 

 

つまり、どの生き方で幸せを感じたいかという点で違ってるだけなんですよね。

 

 

 

楽をして稼ぎたい(自分の時間を大切にしたい)

 

人とのつながりを大切にしたい

 

 

どっちもいいこと

 

 

なんだけれども囚われ過ぎることもない。

 

ビジネス書は男性性の強いものが多いのですが

それをやって幸せならオールオッケー

 

 

もしかしたら、

人は、何かを達成した後より

達成する途中が楽しいのかもしれないしね。w

 

 

 

まぁいろんな話に脱線しましたが、

 

今日も、幸せでした。

寝てばっかいたけどw